2012/06/10

身体、内側への扉

タッチの写真by ドイツ人女性ヴィラ(ドイツ版和尚タイムズ2010年2月号掲載)

アヌブッダとアナーシャは35年以上も、タッチのアートとマジックの探求に捧げています。

インド、日本、タイ、ヨーロッパやアメリカ等の国々で、彼らの智慧と情熱を他の人々に分かち合ってきました。

アヌブッダは和尚の個人的な指導の元、ディレクターとして和尚ヒーリングアカデミーを立ち上げ、和尚ネオ・ヨガや、ハラ・アウェアネスを構想し、和尚リバランシングやや和尚クラニオサクラル・バランシングの共同による設立と、その発展に貢献してきました。

アルーンコンシャスタッチは、総合的ボディワーク、ブレスワーク、そして瞑想を、独自に統合した身体、精神、感情への気づきを開花させていくためのものです。

私は、南スペインのとても素晴らしい山の中で、アヌブッダとアナーシャに出会いました。

ちょうど2週間に渡るトレーニングコースが、終わったところでした。そこでの目一杯インテンシブなグループプログラムや、残暑の厳しさにもかかわらず、二人はすっきりとして、とてもエネルギッシュに、ユーモアに溢れて、私に注意を向けてくれました。

私たちは、美しい風景の静寂に満たされた彼らの小さな部屋に一緒に座り、お茶を飲みながら、彼らの生涯のプロジェクトである、アルーンコンシャスタッチ(意識的なタッチ)について、語ってくれました。

アルーンとは、サンスクリット語で“夜明けの光”を意味します。 スペイン語では、“宇宙の調和” を表す “ARmonia”と“UNiversal”の二つの単語を組み合わせたものです。
それは、この人気ある両リーダーが、まさにここでやろうとしていることです。
意識の光と繊細さを身体に向けること、それによって人生のあらゆる領域で、調和、健康と活力が体験されうるのです。

二人と共に過ごすと、彼らの教えていること、つまり瞑想への愛やタッチの探求にかける喜び、そして人々と心からの出会うことを、彼ら自身が誠実に生きているのが、すぐにわかります。

アヌブッダ


どこからアルーンが始まり、発展してきたのかを理解するためには、2人が出会う前に遡り、アヌブッダとアナーシャそれぞれの人生を、少し振り返ってみる必要があります。

アヌブッダは、スポーツや彼の身体を動かすことを、常に愛してきました。
カルフォルニア育ちの彼は、サーフィンが大好きで、サンディエゴ大学ではスポーツを学び、バスケット選手でもありました。

東洋からアメリカに伝わったばかりのヨガに出会ったのは、1972年のことです。

ヨガのポーズが彼を内側に導き、また同時に彼のスポーツの助けにもなると感じました。
東洋の人生の智慧への興味が、彼の中で目覚めました。

当時まだバグワン・シュリ・ラジニーシと呼ばれていた和尚のことを耳にしたのは、そのヨガの先生であるサニヤシンからでした。 

1975年に初めて和尚の講話を聴き、アクティブ瞑想について知り、好んで実践しました。
彼はこう話しています。

「身体に関しての和尚のビジョンは、感動以上の衝撃でした。

情熱的なスポーツ選手として、動きの只中にいる時も、瞑想が起こりえるということは、私にとっては、ひとつの天からの啓示のようなものでした。新しい次元の扉が一つ開きました。」 

当時彼は、不動産の仲介人として生活の糧を得ていました。 大きな土地を一つ買いたいという数人のサニヤシン達が、彼のところにやって来ました。そ こでアヌブッダは、ロサンジェルス郊外の荒野にある土地を斡旋しました。そこは後に、『ギータム』と呼ばれる、70年代のアメリカで最も大きな和尚瞑想セ ンターになったのです。 

その一ヶ月後、彼は和尚本人に会うために、ついにインドに立ちました。

プーナに到着すると、彼は直ちにボディワークの広大な世界に、飛び込みました。

「タッチのアートにおける多様性が気に入ったのです。ロルフィング、ポステュラル・インテグレーション、トレガーやフェルデンクライスのワークや、エナジーワークなど、私は全てを学びたいと思いました。

まさに正しい時に、正しい場所にいて、100パーセント充実していました!」

3ヵ月後、彼はアメリカに帰り、ギータムでマッサージを始めました。

セッションの中で、タッチを通して彼自身もクライアントと一緒に、瞑想を深めることが、いかに可能であるかの味わいを得ました。

それから2年後、彼は再びインドに戻り、数え切れないほどのセッションを与え、同時に学び続けました。

さらに多くのボディセラピストたちが、押し寄せるようにプーナを訪れ、そこに一つのボディワーク実験場のようなものが出来上がったのです。 

より多くのボディワークスタイルが、お互いに混ざり合い、タッチの分野における新しい展望がまさに生まれようとしていました。

1979年、アヌブッダは和尚に尋ねました。「私たちのボディワークに、新しい名前をつけることはできますか?」和尚の答えはこうでした。

「アヌブッダ、少し待ちなさい。それはやってくる。」

9ヶ月後、名前が来ました。 

ラジニーシ・リバランシングが誕生したのです。アヌブッダに、ティチャーの一人になるようにとのこと。

そして、肉体的、感情的痛みを癒すだけでなく、タッチを通してスピリチュアルな成長をサポートすることが、何よりも第一にくるべきだと言われました。

アヌブッダ「このことは、当時和尚の所に来た、コミューンにいる全ての人々においても、最も主要なことでした。それは、心の満ち足りた豊かなフィールドでした。」

リバランシングには、ディープなタッチと同様にソフトなタッチも統合され、そこでは自分自身の身体を受け容れ、意識を向けることが、何よりも重要なことでした。

瞑想こそが、内側に向かい自分自身の身体を探求するための鍵なのです。

和尚が肉体を離れたその日まで、アヌブッダはリバランシングの現場で、1500人以上のリバランサーを養成し、約一万回の個人セッションを与えました。

1985年、彼はアナーシャと出会い、彼女が人にタッチをしている時の、とても美しい静寂に満ちた存在感に恋に落ちました。

アナーシャ


アナーシャは、常に彼女独自の個性的な道に従って歩んできました。

フランス人の彼女は、すでに少女の頃から沈黙に魅かれるのを感じ、彼女が完全に溶け去ることのできる自然の真ん中にいるのが、一番好きでした。

学校教育は、彼女にとって意味がなく、代わりになる学びの道を探していました。

彼女は、早々に学校を去り、前衛的な芝居興行の劇団を結成しました。ある劇団の団長であり、後にフランスの文化大臣になったシャック・ラングが、彼女にアルタナティブの世界が遥かに活発なベルリンに行くように薦めました。

彼女は旅立ち、そこで、動きと意識とエネルギーに関する多くのグループに参加しました。

「身体と意識!これは常に、私がとても愛するもの。」とアナーシャは言います。

彼女は、ベルリン・ブレス・インスティテュートに通い、イルザ・ミッデンドルフによるトレーニングコースを始めました。同時期にビパサナ瞑想にも出会いました。 それはアナーシャにとって、比類のない素晴らしい組み合わせとなりました。 
彼女はこう語ります。

「そこで、私は一日中静かに座り、呼吸と共に私の内側の世界を観照することができたの。それは、何という純粋な楽しみだったでしょう。只々驚くばかり! ビパサナは私の呼吸への認識と尊敬の念を深めてくれたわ。どんな学校教育も、私に教えてくれなかったことよ。」

彼女は、小さなセッションルームを持ち、日々呼吸のセッションを与え、呼吸のグループワークを行いました。 

「そのインスティテュートには、マントラ(繰り返し唱える真言)があり、それは当時も今もこうよ。

“呼吸が入るにまかせなさい。呼吸が、出ていくにまかせなさい。
そして、自ずから、また戻って来るまで待ちなさい。” 

つまり自分が介入せずに、常に呼吸が起こりたいように、その動きがやってくるのをまかせるということ。どの一息も、この瞬間に自分を明け渡し、それに敬意を向けるチャンス
なの。本当にシンプルで、とっても自然なことよ。 

1973年に、ある人が私に、和尚瞑想を教えてくれたわ。そして私はダイナミック瞑想の熱烈なとりこになったの。」

アルーンが、人生に現れる

アナーシャは、和尚に夢中になり、ランチ(オレゴンの和尚コミューン)を訪れ、そこに留まりました。そしてアヌブッダと出会い、彼らはカップルになりました。
その後にプーナ2の時代、コミューンのとてもクリエィティヴな時期が始まったのです。
和尚の身体は、毒を盛られた影響で、苦しめられていました。
アヌブッダは、和尚にセッションを開始し、そこで彼は、ほとんど毎日のように、和尚に身体に関しての質問をしたり、和尚からの自発的なヒーリングの観点へのコメントを聴く機会を得ました。

アヌブッダは言います。

「何という恩寵でしょう! 和尚の手に触れることは、まるで神聖な領域に触れるようです。それにもかかわらず、彼は全く質素で、ごく当たり前の普通の人でした。まさに、これらのセッションが、言わばアルーンの出発点となりました。」

「和尚は、一つのタッチのスタイルだけでは、満足しませんでした。ある日は、クラニオサクラル療法を希望し、翌日には深いマッサージを、また別の日 には腰を揺らしたり、あるいはエネルギーラインにタッチしたりという具合です。彼は、骨や、筋肉、体液などのエネルギーフィールドを見つめ、そこに呼吸が 通っていくことを望みました。彼の痛みとは反対に(痛みは、非常に強かったに違いありませんが)、彼は完全にリラックスしていました。 私にとって、それ は途方もない感動的な体験になりました。和尚とのワークで、痛み、ヒーリングとタッチにおける私の全ての観念が、根本的に変わってしまいました。タッチが ひとつのシステムの中で制限されたり、身体の一つの部分が別の部分と分離されてはいけないということを理解しました。」

「和尚は、私に言いました。“アヌブッダ、 身体を愛すること、身体を思いやること、身体の神秘に深く入っていくことを、あなた方に教えないような 教育は、あなた方の意識がさらに先に進むこともまた、教えることはできない。身体は扉だ。身体はあなたを導くステップストーンだ。身体と意識のつながりを 無視するような教育は、不十分などというものではなく、その弊害ははかりしれないゆえに、全くもって、破壊的だ。あなた方の内側で、意識が開花することだ けが、唯一あなた方をその被害から守ることができるのだ。そして同時に、あなた方を途方もない創造性へと、突き動かしてくれるだろうーそれは、この世界 に、より多くの美をもたらすだろう。この世界に、より多くの心地よさと喜びをもたらすだろう。“」

人々に、身体との慈しみに満ちた付き合い方を教えることを、第一の関心事にしなければならないと、和尚はアヌブッダに教示を与えました。

アヌブッダとアナーシャは、このことを心得ました。

「そう、これよ! このことが、まさに一番肝心なポイントよ!!」

こうして、アルーンコンシャスタッチのプロジェクトが生まれました。

彼らは、共にトレーニングを作り上げていきました。その中には、ボディワークのそれぞれの形式が含まれています。(彼らにとって、アルーンはワーク(仕事)ではないので、ワークという言葉を使うこと自体に、支障がありますが。)

テクニックに関しては、全くオープンです。彼らにとって、最も大切なことは、内側からその人が、自分の身体を感じ、意識をさらに広げることができるように、そしてそれを通して、自分自身へのより多くの理解と愛を見出すことができるように、タッチするということです。

アナーシャ:「アルーンでは、判断したり、分析したり、比較したりしません。身体に、愛に満ちたプレゼンス(臨在感)をもたらして、その瞬間に起こることを、シンプル に知覚するの。今ここに、あなたをつなげるツールが呼吸よ。瞑想は目的地ではなく、私たちがタッチを練習するまさに、その土壌なの。」

アヌブッダ:「私は、どんな人とも、その人を治すという約束はしません。多くのテクニックが、ーリバランシングもそうなのですが、システムになっていて、緊張を軽減す るためのマニュアルがあるとさえ言えます。しかし、私はそのようにはしませんし、一度もそれが好きだったことはありません。緊張や、まして痛みがそこにあ るなら、それも受け容れて、無理やり変えようとしたり、なくそうとはしません。レットゴー(手放すこと)は、常にくつろぎを通して起こります。そして、そ のくつろぎを私たちが、サポートすることができます。私のクライアントは、私にとってクライアントではなく、セッションの間一つの旅を共にする友人なので す。その間、私は消耗したり、疲れたり、退屈することは、決してありません。ですから、本当にたくさんのセッションを行っています。私は、一人一人のエネ ルギーフィールドの中にできる限り深く潜り、できるだけ多くの経験を積み、私自身の意識と愛を広げていきたいと思っています。それが、私に非常に大きな満 足感を与えてくれるのです。」

あなたの身体を愛しなさい


アヌブッダと彼の人生のパートナーであるアナーシャにとって、アルーンは、“意識的なタッチのトレーニング”という以上のものです。それは、ひとつ の生き方であり、身体に、いかに賢く栄養を与え、酸素を取り入れ、身体を動かし、心をこめて身体の世話をし、清潔を維持するかといった、日常の中での身体 との付き合い方を、じっくりと吟味することでもあります。

自分のエネルギーや心に気に掛かっていることを、どのように、ケアするかが、問われます。それゆえに、アルーンは、他者にボディワークをするというだけでなく、どの人も自分自身と他者に、どれだけ深い次元まで触れることができるかが、主要なテーマになります。

アヌブッダ:「“あなたの身体を愛しなさい”という、和尚のメッセージは、彼の生きた時代には、とんでもなく過激なものでした。そして今日においては、まさに目下の課 題なのです。どれだけ多くの人々が不幸に感じ、自分の身体とのコンタクトを失っていることでしょうか。瞑想と愛こそが、今現在の世界で最も必要とされてい ること、おそらく他の何よりも、緊急を要するものでしょう。私たちが、その一部の幾らかを担うことができればと願っています。」


アルーンの旅は、すでに長く続いています。

そして、アヌブッダとアナーシャにとって、その旅に終わりはないでしょう。

彼らの身体と呼吸がある限り。。

まだまだ、たくさんの神秘が発見されるのを待っているのですから!