2012/10/19

マ・プレム・マンガラのためのある物語(後半)

前半からの続き)そして......

1979年9月8日… 和尚のアシュラムにいた人なら誰でも、この日のこと、そしてブッダ・ホールと火葬場で起こったことをけっして忘れることができないはずだ。愛されし「ダダジ」、和尚のお父様は、体調をくずして数日にわたって入院していた。ダダジに一度でも会ったことがあるのなら、それは祝福だ。飾らず、スイートで、意識的な人だった。内側からの微笑みをたたえて。

僕は、彼が竹林のあいだのブッダ・ホールのまわりを散歩しているのを見るのが大好きだった。彼は一日に何度も、特にクンダリーニ瞑想のときに散歩したものだ。とても優雅に、とても静かに。けれど、その日ダダジはボディを離れた。その知らせは瞬く間に広がった。今日のFacebookみたいに!

和尚の最後の祝福を受けるために、僕たちがダダジのボディをブッダ・ホールに運び込むと、誰もがそこにやってきた。僕は、和尚がヴィマルキルティと一緒にいるのを見て驚いたけれど、その時のタッチは、僕がそれまで目にしたいかなるものからも「かけ離れた」ものだった。和尚はまず、彼のお母様に触れた。彼女は泣いていた。それから和尚は、お父様のボディに向いて、彼の第三の目のあたりと頭のてっぺんに触れた。僕は、自分が座っていた場所、感じたことを、今でも覚えている。純粋な愛、信頼、意識、そしてレット・ゴーが、その和尚のタッチ(OshoTouch)には宿っていた。僕の内側のなにかがシフトした。和尚が僕たち皆にナマステをしたときの和尚の微笑みかたもまた、どう表現していいかわからないようなもので、不思議な魅力に溢れていた。死はほんとうにフィクションなんだろうか???!!!??? 「Osho Mahaparanirvana Day」が誕生した。それは、深い信頼、レット・ゴー、気づきとともに起こる、僕たち皆の死を祝う日だ。

ダダジに触れるOshoの写真

僕たちのサンガの誰かが去っていくたびに、僕は感じる(ここで言うサンガとはとてもオープンなもので、ここ、そこ、あらゆるところにいる存在やフェロー・トラベラーのサンガのことだよ!)。僕たちは、生への新しい気づきと信頼を得て、僕たち自身がもつ未知への恐怖を手放していく機会を得ているのだ、と。未知とは「セニョール死神」のもう一つの名前だ。その偉大なる未知には、僕たち皆もふくまれている。僕は、それ以外の「素晴らしい別離」も忘れない。なぜなら、僕に近しい誰かが「物理的な体」を離れるとき、僕は「最高の」瞑想体験をしてきたからだ。

火葬場


マンガラが好きだった、僕とセニョール死神との関係をめぐるもう一つの物語は、オレゴンのラジニーシプーラムでのことだ。このオレゴンでのことを思うと「全身に鳥肌」がたつ。僕にとって、オレゴンでの時間は素晴らしいものだったし、「2012年のエネルギー・シフト」が起こりつつある今日でも、あの場所で和尚とその弟子たちとともに過ごすことができたことを、僕は以前にもまして感謝している。

アナーシャと僕のどちらも、僕たちがそこで学んだ教訓は、僕たちが第五次元へと移行するときにシェアできる、と感じている。僕たちは、とても神聖で清浄な土地に住んでいた。たくさんのオーガニック・フードを育て、たくさんの家を建て、木を植え、世界的にも有名な「和尚マルチバーシティー」を創設し、ほぼすべての人々の「ボタン」を押し、そうしながらも一日に12時間も働き祈り、さらには踊り、瞑想し、メイク・ラブしていた。間違いもあった。けれど、深いレベルでの教訓と真実はきちんと受け止められていた。

ラジニーシプーラムにあった「聖なる炎」のための建造物の写真

「聖なる炎」が焚かれる様子の写真

僕が今日思い出したいのは、二つのことだ。ひとつ。僕たちは、僕が目にしたことがあるなかでも「もっとも驚くべき」「聖なる炎」のための構造物を建造したこと。それは、ラジニーシプーラムの秘密の聖なる谷にひっそりとあった。それが完成してから、二回しか「聖なる炎」の機会はなかったはずだ。というのも、存在は和尚とその弟子たちのために別のプランを用意していたからだ。ただ僕は、その二回で体験した不思議な力と、どれほど深く自分の内側へと入っていったかは覚えている。

ふたつ。和尚は当時、僕たちの多くに肩書きを与えていた。僕は「死のセレモニー」のガイドになるよう告げられた。僕は腹から笑った。なぜかはともかく、面白可笑しく感じたんだ。生の果汁で溢れんばかりだった32歳の僕が「死のガイド」だなんて! 和尚とともにあるということは、時としてほんとうのトリップになる。その笑いのなかに、より深い気づきと信頼が浸透していく......

ラグヴィラ、マイトレヤ、マタジ、ジャヤンティバイ、そして...... そしてOsho


マイトレヤのセレブレーションの写真

1987年に僕たちが皆、和尚とともにプーナに戻ってから、「聖なる炎」の流れが動きはじめた。僕は、火葬場で火の世話をしていたインド人たちととても親しくなり、「燃焼クルー」と呼ばれるようになった。誰かが亡くなると必ず、彼らはすぐに僕に連絡をくれた。僕はボディの準備を手伝ったり、必要とあれば火を燃やすための薪の準備も手伝った。またボディを運ぶのを手伝ったり、車を使うばあいは、その車に乗り込んだりした。とてもたくさんの思い出がある… ラグヴィラ(彼はあとわずかな時間しか生きられないとわかったとき、友人全員をあつめて巨大なパーティーを開いた)、インド人で光明を得たマイトレヤ、マタジ、光明を得た和尚のお母様(彼女は皆に、泣くことなく歌いなさいと告げ、座ったまま亡くなった)、そしてジャヤンティバイがすぐに頭に思い浮かぶ。他にもたくさんいた。

マタジの写真

ジャヤンティ・バイの写真

そして、これを読んでいる皆のほとんどがよく知っている、ほんとうに沢山の友人が別れを告げていった。たとえば、ディーシャ、ディペッシュ、ラペッシュ、サンヴァド、プラサード、サットギアン(蓮華座のまま!)、マルコス、ヴァリディ(踊りながら亡くなった!)、ヴィーテッシャ、ミスティカルでいつも笑っていたサダージ、アミタバ、ユティカ、クリシュナ・プレム、アヴィナシュ、バスカル、ティータ、グラモ、マダカル、サムボディ、スーチ、バート(フロント・ゲートから蹴り出された!)、ヒプノセラピストのサントッシュ、シッダールタ、スワガート、アティット、ミステリ・スクールのカヴィーシャ、ニルヴァーノ(ヴィヴェック)、ボディ・カルナ、ボディ・レイ。こうした友人ひとりひとりが瞑想的に亡くなっていく。そのたびに僕たちの気づきの炎はさらに明るく燃え、自分自身の旅立ちを恐れることなく期待することなく観照できる可能性が広がる。

Oshoとニルヴァーノの写真

まだここに挙がっていない人がいるね? そう! 愛されし和尚だ! 彼がボディを離れたことは、いまだに僕の内側で、そしてMadre Tierra(母なる大地)全体に鳴り響いている。僕は彼の美しいボディを運ぶ手伝いをして(火葬場に着くまでに何千回もそのボディに触れた)、彼の顔と髭のまわりに薪を積みあげ、聖なる炎を灯した。僕はその炎を見つめた。そしてミラクルが…

Oshoの写真

ケルン


運命あるいは幸運な成りゆきというか、アナーシャと僕はここ二年にわたってさまざまな機会に、ケルンのOsho UTA Academyのお隣でマンガラと一緒だった。もっとも最近だと今年7月のことだ(僕たちはUTAで「ARUN Conscious Touch」のトレーニングをしていたこともあって、三年間にわたって年に三回はケルンを訪れていた)。僕たちは毎回彼女のもとを訪れ、食べ物を持ち寄ったり、おしゃべりしたり、お茶を飲んだり、UTAでのホワイトローブやサットサング瞑想で並んで座ったり、「ARUNタッチング瞑想」をシェアしたり、思い出話をしたりした。

そして、死について僕たちのつながりや気持ちについて話したりもした。死や健康について話していないときは、ショッピングや休暇について話した。マンガラはショッピングが大好き! 僕たちは、彼女の時間がだんだんと短くなっていくのを、彼女がいつの瞬間にもいってしまいかねないのを感じることができた。だからシェアリングは「哲学的」ではなく、とってもガッツのある要点を得たものだった。

アナーシャは彼女に尋ねた。どんな感じ?と。溶けていく準備はできている?と。恐れはある?と。マンガラの答はいつも違っていた。時には死がはるか遠くに感じられたり、時にはとても近くに感じられたり、と。彼女は、自分がどうなるんだろうとの想いを巡らしてもいた。そういう彼女の話し方のキュートなことといったら。

僕たちは「彼女の聖なる炎」について話した。僕は彼女に、もう「大きなコミューン」で生活していないことで残念に思うことのひとつ、つまり、僕たちはお互いの「聖なる炎」にすべては立ち会えないことについて話した。だから僕たちは彼女に、彼女が旅立ったときにはキャンドルを灯すこと、そして僕たちと旅路を同じくした彼女や他の親友たちについて心温まる物語をシェアすることを約束した。

僕たちは、彼女が彼女なりのやりかたで準備を整え、これまでの来し方からたくさんの素晴らしいエネルギーとインスピレーションを得たのを感じた。他にもいくつか僕たちがシェアした物語があるけれど、それはちょっと個人的に過ぎるし、公開すると厄介なことになりかねないものもある。けれど僕たち三人はいっさいの隠し立てなくハートをシェアした。なぜなら僕たちは知っていたから…

たくさんの友人が投稿した、いろいろな場所、時間、場面でのマンガラの写真を見ていると、僕たちひとりひとりが「完全にトータル」になれることがはっきりと僕には見てとれる。なんであれ自分たちのしていることに、どこであれ自分たちのいる場所に、そして誰であれ一緒に時をシェアしている人に。それは、とーーーーっても美しい! 一日のうちの一瞬一瞬に、どうやって友人たちが深い愛と真実と笑いをシェアしているのか。そして僕たち皆がどうやって進化し大きくなっていっているのか。僕たち皆が生きるこうした「トータリティと愛というかけがえのない瞬間」の多くは、けっしてFacebook上では実現しない(まったくもう!!! たしかにFacebookは僕たちをつなげてくれる楽しい手段だけど、僕たちは細々したことをシェアすることにあまりに忙しい)。和尚のサンガ/キャラバンサライに参加できるのは、真の祝福だ。

僕たちはほんとうにラッキーだ。そして「セニョール死神」が僕たちのなかに紛れていることもまた大きな幸運だ。僕たちに生の神秘にレット・ゴーするように促してくれているから。恐れることなく、期待することなく。自分自身でいること。そして「…知らないとはとっても親密なこと」ということを時々思い出してみること。

だから、皆でマンガラの「聖なる炎」を祝福しよう。母なる地球ぜんたいで、喜びと、歌と、音楽と、愛と、そして笑いとサイレンスで。彼女はそれを受けるに値するし、彼女はそれが大好きだから! そして皆さん、逃れることはできないあなた自身の「聖なる炎」に瞑想し、恐れなく、いま生きている生への溢れんばかりの感謝とともに「セニョール死神」があなたを見つけてくれるようにしよう。

あなたの友人でありフェロー・トラベラーからの
愛と深い畏敬の念とともに。

アヌブッダ


翻訳元:Señor Death by Anubuddha
(翻訳:サハジョ)