2013/04/01

ユニバーサル・ハーモニー〜アルーンコンシャスタッチ2013:#15

遺伝子組換えに汚染された愛と気づき vs. オーガニックな愛と気づき…… Side 2


Beloved Friend,

たとえば、「非オーガニックな愛と気づき」に対するものとして「オーガニックな愛と気づき」のようなものは存在し得るでしょうか? 「スピリチュアルな次元」のなかに、「モンサント」や農薬、化学的な除草剤、抗生物質、そして医薬品が存在するでしょうか??? 私は、そうだと思うし、ほとんどすべての人類がこうした毒物によって苦しんでいると思います。ぱっと見にはかなりショッキングかもしれません…… しかしそれは、本物ではなく「寓者の黄金」に惹き付けられた人々にとってでしかありません。

世界のモダンな「教育システム」は「モンサント」なんかよりもはるかに極悪非道なんです! ここで話しているのは、世俗的教育と宗教教育の両方についてです…… 実際「誤教育」のほうがより正確です。家庭や学校、教会、寺院では、アメリカやヨーロッパ、アジア、アフリカのすべての農場でよりも多くの「農薬」や「一酸化炭素」が無垢な子どもたちの上に振りまかれています…… そして、それはたくさんの農薬なのです! 私が話しているのは、すべての教育の95%についてです ~ 科学、歴史、経済、政府、医学、スポーツ、宗教、心理、芸術、ファション、エンターテイメント、などなど。そして遺伝子が組み替えられた有機体や農薬のように、その教化や条件付けの手法は、人々のマインドや意識の根本のところまで入り込み、骨の髄にまで達しているのです…… いったんなされてしまうと、そのダメージから回復するのはそれほど簡単なことではありません。

なんと言えば良いのでしょう?!? 人類の眠りこけた多数派にとっては、私たちの教育システムとその手法には、何かおかしなことがあると見抜いて気づくことはさらに難しいのです…… なぜなら、それはとても一般的で広く行き渡り、ほとんど正常、「自然」に見えるからです。それほどまでに、この惑星の「自然な」人々は遠くへと脇へそれてしまっているのです。それは「正常である」と考えられ、私たちは子どもたちを訓練してあらゆるレベルで競わせ、自分自身を他人と比較し、自分自身をあるがままに受け入れず、絶えず「向上する」するために張り合い、自然な感覚すべてに罪悪感をおぼえ、緊張し、恐れさせることが完全に受け入れられています。機械的であること、理にかなうよりも盲目的に服従するよう教えられること、あらゆる種類の虚構を信じ込むこと、自分の動作や自分の思考に気づかないでいることが自然であるようです。

これは、加工食品や非オーガニックな食品を食べることによって精神的・肉体的病気を引き起こすことについて、基本的に病んだジョークである逆症療法について、治すよりもより多くの問題を生みだす抗生物質について、そして人々をさらに狂気へと追いやる医薬品・精神科の薬について、アナーシャと私がこれまで言ってきたこととまったく同じです…… 大多数の人々は、そのプログラムを信じないことを「狂った人たちだ」と言うことでしょう…… なんという皮肉でしょうか??? 

私たちの「愛」の、まさにその根本が誤った教育と反復的な習慣によって汚されてしまっていると、「有機的な愛」を体験することはとても難しいのです。そして、「気づき」の質と方法がこれほど長期にわたって捩じ曲げられ、誰も「油断なくいること」の原則を教えられていないと、私たちが住んでいる世界中に混乱が生じるのです。それは基本的に:「盲人が盲人の手を引いている」のです。

しかし、ありがたいことに、そしてより大切なことに、Oshoや他の光明を得た存在が知っていて、すでに私たちにシェアもしてくれているし、私も知っていることですが、この汚染され壊滅的なジレンマを変容させる錬金術的な方法があります。私たちは、今すぐに目覚めなければならないのです! 私はイエスがかつて語った美しい言葉が大好きです ~ 「真実はあなたを自由にする」。そしてスーフィーの神秘家であるジャラールッディーン・ルーミーは、それをこう言っています ~ 「暗闇と戦わないようにしなさい。キャンドルを灯した方がいい」

ただし、この賢い観察も覚えておいてください ~「真実はあなたを自由にするが、初めはあなたをうんざりさせるだろう。」~ グロリア・スタイネム

愛と気づきは、私たちのスピリチュアルなエッセンスと私たちの彼方への飛翔という二つの翼です。その二つは、光明を得た人々に知られる、もっとも価値ある人間のエネルギーなのです…… 真実と自由とともに。そして、こうした「より高い価値」は、欺くことはできないし、部分的でもあり得ないのです ~ あなたはそれらを手にするか、手にしないかです…… 私たちが自分たちの愛を純化してクレンジングする前に、私たちは、自分が「愛」だと誤って思い込んでいるもののなかに隠れた不純さと農薬を認めないといけません。私は、これは「ひじょうに大きなテーマ」だと気づいていますし、「偽りの愛」にひそむ数多くの問題の根底まで掘り下げることはできませんが、「大まかなスケッチ」なら描けるし、皆さんがそれに自分自身の色を塗ることはできると思います…… もし皆さんが私の言っていることの要点を理解できれば。そして、この理解があなたの自分自身への、他の人への、そして存在への愛を純化し深める手助けとなり得るのです。その違いと「オーガニックな愛」の味わいを体験し、それがどれほど多くの本物の滋養を持っているのか感じられるでしょう。いずれにしても、私はそう望んでいます…… 

妙高高原でのアヌブッダとアナーシャの写真
愛は自由を与える……

人々は、自分たちの家族、パートナー、あるいは国を「愛すること」について語ります。あるいは、自分の車、自分の宝石、あるいは自分の社会的地位を「愛すること」を。「愛」という言葉は、多くのことに使われます。彼らは「愛」の前に大仰な形容詞も使います。「スピリチュアルな」愛とか、「無条件の」愛とか、「永遠の」愛とか。私たちはほんとうは何を言いたいのでしょう? 内側深くを見て、「愛の名」のもとに実際は何をするのか見つめてみてください。

もし私たちがほんとうに自分たちの子どもを愛しているのなら、私たちは今のようなやり方で彼らを扱えるでしょうか? 私たちは彼らに、緊張するように、恐怖に怯えるように、嘘をつくように、ごまかすようにプログラムできるでしょうか? 私たちは、愛の「誤った通貨」をあまりにも習慣的・機械的に使い、他の人を操作し、コントロールし、威圧しています。私たちは、ある種の人々と友人になります。たんにそうすれば、彼らが自分を助けてくれたり、「何かを売りつけたり」できるから。もしあなたが誰かのために何かを欲しいなら、まずは彼らがあなたを信頼し、あなたを好きになるようにしむけ、それからあなたの欲しいものを手に入れる、ということを誰もが無意識のうちに学びます。多くの関係性は必要の上に成り立ち、お金、セックス、権力への欲望、あるいは恐怖の上に成り立っています。しかし、必要、欲望、将来を見越した動機、あるいは恐怖が混在したところに、愛は存在しません…… どちらか一方を手にすることはできますが、両方を一緒には手にできません。もし何かに貪欲であったとしたら、愛は不可能です。独占的だったり嫉妬深かったり、ねたみ深かったりしたら、そこには愛はいっさい存在しません。あなたはどれほどたくさんの「愛し合う人々」を目にしたことがあるでしょうか? パートナーが他の男性や女性とただ笑い楽しんでいるだけなのに怒り狂うような「愛し合う人々」を。他の人とダンスしたり、ハグをしたり、あるいは神も禁じるように、他の人を愛したりするにいたっては、なんと言えば良いでしょう?!? そこには、愛の名のもとにあまりに多くの狡猾さ、欺瞞、嫉妬がかかわっています。なのに誰もそれに気づいている様子はありません。それは緊張を生み、有毒です。そしてそれは自由を与えないどころか、その逆です。そして、私たちは騙されていたのだ、利用されていたのだ、裏切られたのだと知ったとき、それはものすごく痛みます…… なかには、こうした感情的な傷から立ち直れない人もいます。そして彼らは他の人にその痛みを押しつけ続けるのです…… 悪循環です。

その病気の根っこは、ほとんどすべての人のなかの自己愛の欠如です。そして、この自己愛の可能性は、私たちの子供時代から足枷をはめられているのです。私たちは、ほとんどすべてのことについて罪悪感を感じるようにされてきました…… 私たちは「自分自身であること」を奨励されたことがまったくありません。私たちは、自分自身の身体を愛するよう教えられてはきませんでした。そして、自分自身の身体を愛せないのに、どうやって他の人を愛することができるのでしょう? なぜなら、彼らもまたあなたには身体として映るからです。私たちは、自分自身の直感や基本的な本能を疑い信頼しないように訓練されてきました。私たちは、自分自身のことをどう考えていいのか見せてもらえなかったのです。こうした恐怖の結果からなにを期待したらいいのでしょうか?!? そしてその「恐怖」あらゆるところに蔓延しているのです…… それは始まってから、家族のなかで、学校で、友達との間で、聖職者や宗教で、スポーツで、あらゆるところであらゆるものごとで少なくとも18年間は続きます。あなたが行く先々で愛や好意を競っていたら、そこで何が起こるでしょうか? なぜ私がモンサントや農薬といった例えをつかったか分かりますか? どうしたらこんなに汚れてしまった土地で、エネルギー溢れるオーガニックな愛が花開けるでしょう? 

どうやって本物を認められるでしょう? あなたはそれを味わわなければなりません。愛が本物であるとき、それはリラックスさせてくれます…… そこには広がりがあり、幅が広がります。そこには喜びの内なる震えがあります。そこにはいっさいの恐れがありません….. そこには信頼があります。そこにはそれを分かち合う感覚、それを与える感覚があります。それは分かち合うことで成長し、抱え込むことで死にます。仏陀が経験するような方法で愛することで、自由が生まれます。愛は癒してくれます…… 

Oshoの目は愛と気づきに溢れています…… それをあなたの内に入ってくるよう許してみて。

私が「オーガニックな愛」について語る前に、ピーター・マケナによるこの美しい歌を聴いてください:「私が知っているのは愛だけ(all I know is Love)」

今日、「意識的なこれ」とか「意識的なあれ」について語ることがファッションになっています。気づきという現象は、愛という現象とおなじように、「魂のモンサント」によって汚染されています。両方の「ガン」の根本原因は交換可能で、どちらにも感染します…… 私が気づきの農薬について言っているのは、扇情的な愛のことで、逆もまたしかりです。エゴは、教育をとおして無意識的に訓練され結晶化されていますが、それが本当の問題の核です。気づきとされているものの根底にあるのは、実は、私たちのエゴをガードし守るためのものです。そして、そのエゴは、恐怖と別離の感覚をとおして作り上げられ強化されています。ですから、誰もがつねに「見張って」いて、私たちは警戒しているように訓練されるのです。しかし、それはOshoやブッダが「観照する」という現象について言っていた意味とはまったく異なるのです。その違いは昼と夜のようなもので、お互いを結ぶ橋をかけることもできません。誤った気づきとは、私たちが他の人をコントロールし、威圧したり、力を振りかざしたり、彼らの愛、承認、敬意、信頼を得ようとしたりする、私たちが望むゴールです…… そして、これはビジネス、政治、関係性、教育、ヒーリング、スポーツ、芸術の分野でおこっています…… つまり、すべての分野で、です。人々が気づきと呼んでいるものは、比較にもとづいています…… それは、強烈な競争にもとづいています。しかし本物の気づきは、あらゆる競争や比較とは無縁です。そこに嫉妬や妬みは関係ありません…… いっさいの誤摩化しもなく、他の人を利用することもなく、いかなる類いの「権力の乱用」もありません…… そこに「隠れた目的」はいっさいありません。そこにはいっさいの判断もなく、「正しい」気づきに紛れ込んだ罪悪感もありません。「気づきをもって意識的」であることを実践し、あらゆるエゾテリックな教えを学んだ「ヨガの教師」が、自分の生徒に感銘を与え、もっと多くのクライアントと力を得るためだけにそうしているのを目にしたことがあります…… 彼らはそれを気づきと呼んでいるのです。同じことがあまりに多くの分野で行われており、信じられないくらいです。思いだしてください ~ 「真実はあなたを自由にするが、初めはあなたをうんざりさせるだろう!」

私たちは、恐怖無く期待することなく、内側を見つめることを学ぶ必要があります。私たちは、静寂や「知らないこと」にくつろぐ必要があります。気づきには、リラクゼーション、広がり、オープンさ、そして正直さが必要です…… それには感じることと許すことが求められます。私たちは、自分の身体とその機能を内側から気づくようになる必要があるのです…… 自分の動作、自分の呼吸を観察して。私たちは、自分の行為、自分の動機、自分の欲望、自分の思考を見つめる必要があります…… 私たちの存在のすべての部分が、観照するエネルギーに満たされている必要があるのです。私たちは、内側深くを「見て」「感じる」必要があります。気づきと愛のどちらも、「手放す」ことと赦しのエネルギーが求められます…… 私たち自身、他の人、そして存在を赦して…… 愛と気づきのどちらも、真実に根ざしている必要があります。でないと、それは100%「オーガニック」にはなりません。

オーガニックな愛ときづきはあなたを自由にします。あなたの人生はダンスになります。しかし、これによって私たちが持っている困難や責任が取り除かれるわけではありません。愛と気づきは、「知識」のようなものではありませんし、なにをするかを準備したりリハーサルしたりするのは違います…… それは、人々や状況にたいする瞬間瞬間の自発的な対応なのです。愛や気づきのための、公式やテクニックはいっさいありません。私たちはただ、私たちがデリケートな苗木を慈しむように、この愛と気づきを慈しむことができるだけです…… 風や嵐や困難があるだろうことを知りながらも、信頼しつつ、それに正しい滋養と土地、太陽と影の正しいバランス、正しい水、一環したケア、を与えることで。しかし私たちはベストを尽くします。そして同時に私たちは、「花開かせること、実を結ぶことができる」を知っているのです…… 花や実は、恩寵をとおして彼方からやってきます。私たちは、オーガニックな愛と気づきのために自分たちのエネルギーフィールドを準備できるのです。そして私たちは、恩寵へと開いていながら、この理解にもとづいて行動するのです。そして私たちは喜びを分かち合います…… 繰り返しますが、いっさい期待することなく。

光明を得た存在から注がれる祝福 ~ 私たちは皆さん全員にお辞儀します…… 

* Buddham sharanam gacchami
私はブッダ〜光明を得た存在〜の足下に行く(あるいは;光明を得た存在へと避難する)
* Sangham sharanam gacchami
私はブッダ〜光明を得た存在〜のサンガ(スピリチュアルなコミューン)の足下に行く(あるいは;サンガへと避難する)
* Dhammam sharanam gacchami
私は光明を得た存在の究極の法の足下に行く(あるいは;究極の法へと避難する)
ですから皆さん、今日は21日間にわたるアルーンコンシャスタッチ、ユニバーサル・ハーモニー、愛と気づきの交流の最後の「オフィシャル」な日です…… でもスイートな歌はこれからもずっと続きます…… 明日、私たちは、アナーシャからのまとめと、もしかしたらその後にもう一回送ります。私たちはこの体験をとても楽しみましたし、皆さんもそうであったと心から願っています。私たちは本当に皆さんのことを愛していますし、ベストをお祈りします。

この素晴らしい満月を祝い、たくさんのポジティブなジュースを送ります…… 愛と気づきの光のなか、あなたが平和でありますように。〜Anubuddha

翻訳元:#15~ GMO Contaminated Love & Awareness vs. Organic Love & Awareness… Side 2 by Anubuddha
(翻訳:サハジョ)