2012/06/07

アルーンタイヨガマッサージ―ブッダの贈り物

アヌブッダの写真文:アヌブッダ 訳:ラサタ

アルーンは、クリエィティブな人間のタッチにおける意識の進化の発展に、愛をもって捧げられています。

ですから、伝統タイマッサージの創始者として尊敬されている、光明を得た医者シバゴ・カマルパジが与えたタッチーヒーリングー瞑想の世界への貢献を皆さんにシェアするのは、大いなる喜びです。

古代タイのタッチとボディへのアプローチの多次元的可能性を真に理解しその価値を認めるためには、光明を得た神秘家のスピリチュアルなビジョンを認識する必要があります。

人間の歴史において、最も重要な光明を得た先見者たちのうち2人は、ゴーダマ・ザ・ブッダと和尚といえます。両者は2500年の時を隔ててインドに生まれ、ブッダも和尚も大きな、スピリチュアル・コミューン(サンガ)を築き、そこでは人々が調和のある生と自己実現のメッセージを体験し分かち合うことができます。(ブッダとは、インドでは、究極の可能性を実現し、すべての痛み、恐怖、苦しみを超えた存在を表します。)

私にとって、14年間(1976~1990)、和尚コミューンで生活し、瞑想し、学び、働くことができたのは、まさに恩恵でした。ブッダや和尚が人間のエネルギーフィールドに関して教えようとしていることを直に体験し、それを如何に最大限にケアするかを学びました。

それは、何世紀も前のブッダとシバゴ・カマルパジの時代と似ていたにちがいありません。光明を達成した存在のガイダンスのもとでは、多くの、普通ではないと思われることが可能になるのです。あなたのエネルギーと内なる気付きにチューニングを合わせ、誰もの身体の内側にある“意識”と直接つながることによって、内側に動くエネルギーを感じ、見ることができるのです。これは、経験のない人には、ほとんど信じられないことです。

探求者たちのコミューンで、和尚の直接のガイダンスのもと私は個人的変容を体験しました。そして私たち皆の中にある、ボディ、マインド、感情、精神のダイナミックな有機的統合への理解を目覚めさせる“全く新しい種類の教育”を創ることを助けてきました。

アルーンは自分を学ぶことに、その方法と焦点が置かれる“全く新しい種類の教育”であり、従来の学校での教育とは、全く異なるものです。

ですから、まず、和尚と共に過ごし、ワークすることによって得た私自身の洞察をシェアしようと思います。それは、和尚ヒーリングアートアカデミーでディレクターを務め、世界中から来た何千もの探求者たちと分かち合い、タッチすることの中で生まれたものです。

私が和尚と共にいることで学んだことは、ドクターシバゴのヒーリングタッチ、エクササイズ、瞑想の古代アプローチ、つまり“伝統タイマッサージ”として知られるものと、偶然にも、同じ本質的真理を含んでいます。

それから、
それらのエネルギーラインを感じ開くことで、いかに内なる意識が広がるか
タイマッサージでのヨガアーサナと意識的呼吸の役割。
他者にタッチするときの手と身体の使い方。
マッサージでの愛のヒーリングパワー
最終的には、瞑想としてのタッチ、などについて人間の身体の“10の主要エネルギーライン”の流れと“7つのエネルギーチャクラ”について、話します。
身体のすべての細胞、筋肉、神経―私の好きな呼び方でいえば、この“ヒューマン・エネルギー・フィールド”は、たった今、生命と意識と共に振動し脈打っています。この瞬間に!

呼吸のたびごとに、心臓の鼓動が全身に共鳴し、脳や脊髄を取り巻く脳脊髄液の波が揺らぐごとに、生命は私たちの身体中を流れ、元気を回復させます。

それは、あまりに明らかなことで、ヨガや和尚、ブッダの講話の中でみごとに説明され、また今世紀には現代物理学で証明されていることです。
では、何故ほとんど誰もが自分を不幸せに感じるのでしょう?
何故、普通一般に身体は、緊張や恐怖、痛み、心理的混乱、ネガティブな感情や病気でいっぱいなのでしょう。
どうして、内側に静かに動いている生命力を感じないのでしょう?
その答えは、誤った教育と個人的、集合的マインドの支配によるものです。

私たちは、緊張するように訓練され、プログラムされてきました。個人的にも集合的にも、身体の内側に宿る知恵とスピリットとのつながりを失ってきたのです。この地球上の病気―dis-ease(安らぎの欠如)には多くの要因がありますが、そのひとつは、年をとると、身体と賢く生きるのをやめてしまうということが言えます。

身体の動きが決まった、繰り返しの多い機械的、無意識的なものになります。骨格のほとんどの主要な関節が決して十分に動かされ圧縮され曲げられることがありません。その結果、筋肉、靭帯、腱や神経が鈍くなるか、ストレス過剰になり、血液・ホルモンの循環が毒されます。この不柔軟性が長い年月続くことで、疑いなく多くのレベルで様々な肉体的支障、心理的倦怠感、不安感、感情的痛み、欲求不満などにつながっていきます。

人々は呼吸をしていません!呼吸はすべての緊張と恐怖を解放する主要な鍵であるのに、ほとんど誰も、自分の呼吸を価値のあるものとして、役立てていません。すべては、内側でつながっています。

ですから、何歳であろうと、社会での地位が何であろうと、男性でも女性でも、このボディマインドは、絶えず、再生され、活性化される必要があります。それぞれのヒューマン・エネルギー・フィールドには持って生まれた知恵と生命力が隠され、それは意識と3次元的身体の動き、リラックスした瞑想と通して、水を与える必要があります。

あなたの身体、マインド、呼吸に無関心なままで、リラクゼーションや内なるアウェアネスを学ぼうと期待することはできません。ただ、それについて、考えるだけでは、助けになりません。一貫とした、定期的な時間が“内側を観ること”、や身体のすべての骨、筋肉、神経をストレッチし、活性化し、リラックスするためには、必要です。

タイヨガマッサージや瞑想を実践することは、全く難しいことではありませんが、それにはいくらかの自分自身への尊重と感謝とケアに満ちた愛がいります。

“エネルギー・ボディ”と10の主要エネルギーの流れ
私たちは、通常それについて話しませんが、だれもがヨガやタイマッサージで言われる“エネルギー体”を体験していると思います。それは、内面の感覚や意識であり形のある物質や肉体的実体に制限されないものです。例えば、ある特定の思考があなたを落ち込ませることも、喜びに満たすこともあります。

あなたが美しいと感じる光景が、あなたの筋肉をリラックスさせ、楽しい気分にさせます。音楽やある特定の声があなたをハッピーにも、ネガティブなムードにもさせます。

ある匂いが身体の組織を広げ深呼吸するのを助けることあれば、正反対の効果にもなり得ます。ある人があなたに触れる、あるいは、近くに来ると、外からは、同じように見えても、あなたの内側のフィーリングが、Yesと反応することもあれば、Noを感じることもあります。

大都会のコンクリートの上を歩く時と、自然の大地を歩く時では違う影響があります。強い心理的信じ込みがあなたの呼吸の動きを制限しコントロールすることにもなり、それは骨格筋肉の協同性や可動性にも影響を与えることになります。

ブッダ、和尚そして、ヨガの先達者たちは、そういったことを、シンプルに観察し内側の理解を深めてきました。最終的には、その精妙で複雑な内側の相互作用を説明する唯一の方法は“内側を観る”ことを基礎とした、新しい言語、新しい解剖学を用いることになります。

私たちのエネルギーや意識は、“実体のないもの”であり、筋肉、神経、血液、骨は“実体”だと、あなたは言うかもしれませんが、光明を得た先見者たちにとって、双方とも同等に現実なのです。身体を解剖し、筋肉、血管、神経、骨の構造、呼吸器の通路を見ることはできます。しかし、生きる身体に流れる生命力(ヨガではプラーナ)や、喜び、憤りで筋肉や骨を動かすそのマインド、あるいは愛したり、憎んだりするハートのエネルギーを眼で見ることはないでしょう。

しかしブッダにとって、思考、感覚、感情、ムード、態度や判断はすべて、現実のエネルギーです。そして、瞑想者にとって、さらにもっと価値のある大切なことは、それらの内なるエネルギー現象のすべてを見守ることができるということです。それは、“観照する意識”であり、身体、マインド、感情を超えたものです。

和尚の偉大な洞察と教えは、あなたの身体とその滋養のためには、愛と慈悲が絶対に必要とされる、そして、よりよい身体をもつことが、意識の成長の可能性が高める、身体は有機的総合体である、というものです。

ブッダの時代、彼らはこの神秘に非常に深く入り込み、結果として72,000!の経路、エネルギーラインが私たちの中に流れていることに到達しました。そして、人々が最大限の健康を手にし、この素晴らしい内なる意識を観守るだけ十分リラックスしオープンになるのを助けるために、ドクターシバゴと他の古代アユルベーダの教師たちは10の主要ラインに焦点を向けました。

彼らは、あらゆる緊張、病気、痛み、そして恐怖は、これらのエネルギーラインの流れの妨害に関連していると注目しています。肉体がブロックされ、かたくなり整っていないとき、健康が害され、病気になり、瞑想が困難になります。彼らの治療法はハーブ、ヨガ、呼吸への気付き、マッサージを用い、意識的に生きることです。

ですから、ブッダの弟子たちは、自分自身のために、ヨガの体位(アーサナ)や意識的呼吸法を学びました。ある僧たちは、タッチの指導を受け、人々の身体にある、これらの10のエネルギーの流れを活性化することを学びました。覚醒者にとって、身体は、全存在の中で、最も偉大な神秘です。このオープンなビジョンをもって、彼らはさらに内なる発見を続けました。彼らの手と意識で学んだことは、生への瞑想的アプローチであり、世代から世代へと口から口へ、あるいは体感を通して伝えられました。

身体の内側のエネルギーの流れを教える東洋の文化では、ヒーリングや動きのエクササイズで用いられる、エネルギーセンター、チャクラ、経絡や圧点の位置、配列、意味に関して、ひとつの完全に一致する意見は存在しません。タイの中でも、共通する統一合意はありません。

私が今皆さんにシェアするのは、今日のタイで最も一般的に認められているものです。(アルーントレーニングの中では、ラインの代わりに“Stream”(小川、流れ)という言葉を用います。その方が内なる現実にあうので。)
完全に健康であるためには、それぞれのラインが内側から容易に感じられ、呼吸がそのラインを制限されずに流れる必要があります。

続ける前に、私たちの五感の重要性とその役割に注目してもらいたいと思います。それは、瞬間、瞬間に生を体験します。古代ヨガのマスターたちにとって、感覚は生命エネルギーと内なる意識が流れる、物質と非物質の間にある重要な窓です。

感覚器官と身体の開口部は絶えず情報を受け取る場所でもあり、多くの恐れや緊張を体験しているので、ブロックされやすい部分です。それゆえに、生殖器や肛門を含む身体の開口部が、主要10のエネルギーライン(Seb sen)のひとつを代表するものに選ばれています。

また、ハラセンターにもその価値と重要性に注目してもらいたいです。それは人間の身体の地理的中心であるだけでなく、ブッダ、和尚、中国や日本の神秘家たちは、ハラを“存在のセンター”すなわち、瞑想的覚醒のセンターとみなしています。ですから、すべての主要ラインはこの領域を通るのがわかるでしょう。

主要10のライン
1.
“Sen Sumana”へその下(東洋のハラセンター)から始まり体の中心線を上がり、舌の付け根まで。
2&3.
“Sen Itha”-左、“Sen Pingala”-右
へその下から始まり、脚の前面を膝まで下がってターンし腿の裏を通り、脊柱両サイドに沿って頭頂まで上がり、ターンして鼻孔まで。(それぞれの側の鼻孔の呼吸の流れは背骨の同じ側と重要なつながりがあります。)
4.
“Sen Kalatharee”外側の環境に触れる各センター(両手、両足)とハラセンターをつなげる。このラインは、手と足の圧点をマッサージすることでヒーリングエネルギーのパイプとなります。現代のフットリフレクソロジーのヒーリングアートは、実際タイマッサージの古代手法の一部です。
また、ヨガの手のムードラは、同時期に発見された古代科学でありホリスティック(自然治癒論)の理解からきています。
5&6.
“Sen Sahatsarangsi”-左、“Sen Thawari”-右
“ 眼のライン”で、それぞれ、へそで始まり、脚の内側を下がりくるぶしでターン、脚の裏を上がり、腰から肩甲骨に沿って首の後ろを上がり眼まで。
7&8.
“Sen Lawusang”-左、 “Sen Ulanga”-右
“耳のライン”で、へそから乳首を通り耳まで対角線上を上がる。
9.
“Sen Nanathakrawat” へそから、尿道までと、へそから、肛門までの2つの支流。
10.
女性は“Sen Kitchana”へそからクリトリスまで。
男性は“Sen Pittakum”へそからペニスの内側まで。

これで、これらの“生命エネルギーの川の流れ”が頭からつま先まで、表層から、深部まで、それぞれの部分が3次元的につながり合って、全身を流れるのがわかるでしょう。

ヨガストレッチとタイマッサージ:角度と呼吸の科学
タイマッサージで行われる動きの多くは、関節を開き、筋肉や神経をストレッチするもので、ハタヨガとある意味で似ていて、非常に大きな効果があります。

アルーンコンシャスタッチで教えるヨガは全く比較や競争のないものです。様々な“アーサナ”を行うことで生まれる感覚、思考、フィーリング、緊張や恐怖、エネルギーは何であれ、この瞬間に気付くための焦点であり、有機的統合体としての身体と意識により親しむ方法として用います。

こんな風に、考えてみてください。あなたの身体が驚くべき、複雑な仕組み―滑車(筋肉、腱、靭帯)、てこ(個々の骨格の骨)、移動する支点(関節の回転接合部)で動き、呼吸の中のプラーナ(意識)でパワーが与えられる。それぞれのアーサナ(ある一定の時間、ひとつの体位を維持する)は、優しく安全に、骨格、筋肉、筋膜の相互に関わる“角度の変化”を一時的に保持するものです。

あなたがストレッチするとき、片方が伸びる一方、もう片側は短くなります。あらゆる動き、あるいはストレッチは基本的にその部分の骨の相互角度が変わることによって、感じられるのです。神経や血管は骨の間や骨に沿って流れ、あなたの脳へ行き来してメッセージを運びます。あなたの身体の中には、220以上の骨があるのです!この“ストレッチ”は、内なるタッチとして感じ得るもので、徐じょに細部にわたって、身体の最深部組織に向けることができるようになります。

緊張や恐怖、ほとんどの肉体的、感情的痛みが蓄積されるのは、より深い組織や骨と骨の間のスペースです。この緊張、恐怖、痛みは、当然、マインドや脳、感情を汚染し、“この瞬間”を楽しむことを、ずっと難しくします。自分の意識的な動きで“タッチする”にしろ、誰かの手から受けるにしろ、“感覚神経通路”(ホルモン、エンドルフィン、フィーリング)や“運動神経通路”を同時に活性化することになります。

私たちの内側には、すぐれた“フィードバック・ループ”(一巡することで出力調整する電気回路)、サーキット(電流通路)があり、内側の活動が行われるのを可能にしています。それらの通路は意識的な
動きや内側を観ること、瞑想を通してさらに強く健康になります。

とてもよくバランスのとれた動きや柔軟性、優雅さ、健康、リラクゼーションなどは、多くの恩恵のうちのほんのわずかにすぎません。

意識的にタッチすることのアート
私はもう20年以上もの間、クリエィティブなタッチの方法を人々に教えてきました。

クラスやトレーニングで5,000人以上の生徒たちがいたと思います。あらゆる年齢層や世界中のあらゆる地域から来た人々との私の経験では、だれもが繊細にタッチし、タッチされることが好きです。そして多くの肉体的、心理的、感情的問題は意識的にタッチされることで取り除かれ得るのです。その理由は、“エネルギー体”にあります。

それは光明を得た神秘家や、タイマッサージ、アユルベーダ、東洋の気の認識、などの理解ではとても重要なことです。私たちの“エネルギー体”をオープンにしたまま、呼吸に意識し、“瞬間にいる”という瞑想のコツを学ぶなら、痛みや緊張は、かなり軽減されるか、完全に消えます。

内側に流れるエネルギーラインを感じるのに、コンシャスタッチは驚くほどシンプルで、誰もがシェアすることを学べる、パワフルなツールです。私は、“アルーン・コンシャス・タッチ”がすべての子供たちの教育の一環であったら、と願います。

タイマッサージでは、手のそれぞれのパートが知性的に用いられます。手のひらを使うことで、安全に広い範囲に圧を加え、リズムをつけることで、タッチを受けている人が、その場所を感じ、内側に意識が流れるのを助けます。

エネルギーラインに沿って手で“歩くこと”を学びます。足脚(6つのエネルギーラインが骨盤、仙骨から足まで取り囲んでいます)、腰、腕、肩を行き来します。

また腹部、骨盤、胸、首、頭に手のひらで圧を加えたり、親指や指を使って、特定のポイントにより深く集中して圧を与えたりすることも学びます。

もし、あなたが繊細にタッチと呼吸の命がふれ合うように動くなら、しだいに、痛みの感覚は減り、エネルギーが恐れることなく流れます。

身体のすべての部分はこのように、エネルギーで覆われています。タイマッサージのたくさんある素晴らしい側面のひとつに、与え手と受け手との間に生まれる親密さがあげられます。

与え手は、手だけでなく、足、膝、腕でもタッチし、時には、受け手の身体の部分を安全に自分の身体の上に置くこともあります。一人が同時に4箇所にコンタクトする、非常に心地よい感覚的体験を創ることができます。

神経の末端や手足のエネルギーポイントはすべての身体、マインド、感情と内側でつながっています。また手はハート、ハラ、マインドと、明らかに、つながりがあります。この内的事実が非常に影響力のある“エネルギーの循環”をつくります。

ポイントやエネルギーラインに繊細な圧を感じるのと同時に骨格が動かされストレッチされて、さらに多くの内なる自由、爽快さを体験し、すべての部分が調和よくつながっている感覚が与えられます。自分自身のエネルギー体や意識とつながっている人からタッチを受けると、その人の手や足が、あなたの肉体やエネルギーの流れを、見て、応答し、感じているという体験をします。

2人がシンクロニシティーの中にあるとき、エネルギーが滝のように流れ、痛みを和らげ楽にする脳内物質、エンドルフィンが放出されます。

そこには、恐れも判断もありません。“無心”の境地で正しく行うなら、タイマッサージはタッチのダンス、エネルギーの遊びになります。それはボディマインドにおける、ほとんどすべての問題の助けになります。

コンシャスタッチ―言葉でない、愛の言語
1976年、インドのプーナで和尚は、セッションを与えることに関して話しました。
それは、ドクターシバゴの教えの基本でもあることです。

彼は私たちにこの様に励まします;
“マッサージは、学び始めることはできるが、決して学び終えることはない。
それは、どんどん先に進み、絶え間なくより深く、より高くなっていく経験だ。
マッサージは、最も精妙なアートのひとつだ。
それは、エキスパートかどうかが問われるのではなく、むしろ愛が問われる…”
“テクニックを学びなさい。
それから、それを忘れなさい。そして、ただ感じなさい。
フィーリングで動きなさい。
深く学ぶなら、ワークの90%は愛によってなされ、
10%がテクニックによってなされる。
まさに、そのタッチだけで―愛に満ちたタッチで、
身体の中で何かがリラックスする。“
“もし、あなたが相手に愛と慈悲、
そして究極の価値を感じるなら、
その人を修理する機械のように扱かうのでなく、
とほうもない価値のあるエネルギーとして接するなら、
その人があなたを信頼し、エネルギーに関わらせてくれていることに感謝するなら、
まもなく、オルガンを弾いているかのように、感じるだろう。
身体全身がオルガンのキイとなり、身体の内側で生まれるハーモニーを感じられるだろう。
その人だけでなく、あなたもまた助けられるだろう。“
“マッサージしている間、ただマッサージしなさい。
他のことは、考えないように、
それらは、邪魔になる。
指の中にいなさい、あなたの全身全霊がそこにあるかのように。
単なる、身体だけのタッチにしないように。
あなたの全霊が相手の身体に入り、浸透し、最深の複合組織がリラックスする。“
この姿勢はブッダの本質であり、シバゴの概念である“メッタ”(愛に満ちた優しさ、思いやり)です。僧たちが、タイマッサージでタッチやストレッチをシェアしているとき、彼らは“メッタ”もまたシェアしています。

私たちの“本質的教育”の始まりは、私たちの身体と意識は、ひとつの有機的統合体であると認識し、だれもが、まず自分自身の身体を愛し慈悲を持つことを教えられることです。

なぜなら、和尚や他の光明を得た賢者によれば、自分自身の身体にたいして、慈悲深く愛に満ちていない限り、本当には、他の人々を愛することは、できないのです。

また、この新しい“本質的教育”では、人間の身体は全存在の中で、最も偉大なる神秘であると教えます。このエネルギーと気付きと共に、私たちは身体にタッチし、瞑想とあるがまま受け容れるスペースへと入っていきます。

これが、アルーンコンシャスタッチとタイヨガマッサージを“ブッダの贈り物”と私が呼ぶ理由です。