2013/08/13

コンシャスタッチはつねに「いまここ」にある

瞑想と慈悲を他の人と分かち合うにあたって、アナーシャとわたしが創りだしたアルーンコンシャスタッチ以上に優れた方法を思いつきません。そして、この洞察と体験に至ったことについて、わたしはただOshoに感謝し喜び讃えるだけです。1976年から1990年までの15年間にわたって、わたしは彼とともに生活し、瞑想し、ワークしてきました。Oshoをはじめ、彼のもとに集った何千人ものクリエイティブな友人たちは、世界的なビジョンをもち、スピリチュアルなセラピー、ヒューマンタッチ、(振動する電磁エネルギーフィールドとしての)身体、精神を高めてくれる音楽、瞑想を分かちあってきました。わたしにとって、そのポジティブな影響は測り知れません。

アヌブッダの写真
アヌブッダ

わたしにとってタッチとは、人生そのものです。ヒューマンタッチはとても幅広いトピックで、言い表せないほど豊かで複雑で、その潜在性と重要性は驚くほど多次元的です。タッチはつねに「まさにこの瞬間」にしか起こりません。過去にも起こらないし、未来にも起こりません。コンシャスタッチは、けっしてテクニックではありません。それはつねに「いまここ」にあり、一度たりとも同じタッチは起こり得ないからです。コンシャスな(意識的な)タッチ(そしてアンコンシャスな(無意識的な)タッチも!)は、わたしたちの感覚すべてを通り抜けます。実際の話、わたしたちは手や足だけでタッチしているわけではないのです。英語では「being touched(感動する)」と言いますが、これはとても含蓄のある表現です。みなさんは、人や体験に「touched(感動した)」と言うとき、それが何を意味するのか理解することなく使っているかもしれません。わたしたちの日々の営みはすべて「触れることと触れられること」によって成り立っています。つまり、わたしたちの目は見ているものに触れ、見ているものによって触れられています。わたしたちの声や息のバイブレーションは他の人に触れていますし、わたしたちは周囲のあらゆる音のバイブレーションに触れられています。食べ物はわたしたちのエネルギーに触れ、新しくしてくれます。暑さ寒さも、わたしたちに触れています。どれだけでも続けることができます。

思考は触れます
あなたの思考はあなたの気分に
あなたの筋肉に、あなたの神経に、あなたのハートに影響します
そしてそれらは即座に影響し
わたしたちの周囲の人々や物事に触れます
愛は触れます
恐怖は触れます
このことに瞑想してみてください

トレーニングをリードするアヌブッダとアナーシャの写真
トレーニングをリードするアヌブッダ(左)とアナーシャ


タッチには2が含まれている


どうしたら瞑想とタッチが結びつき得るかについてのわたしの理解と気づきは、1988年のインドで真のターニングポイントを迎えました。わたしたちは皆、コミューンでたくさんのことをしましたが、わたしの主なワークは、Oshoのダイナミック瞑想をガイドし、ヨガやリバランシング、クラニオセイクラル・バランシングを教えることでした。それまでにも、わたしは数多くの人たちのトレーニングを手助けしていました。1985年、Oshoはでっちあげられた罪によって合衆国政府に逮捕されました。その後12日間にわたってロナルド・レーガン政府によって収監され、彼は「地図上から消え」ました。100万人を超える彼の友人の誰ひとりとして(たくさんの超一流の弁護士もふくめ)、一週間以上も彼がどこにいるのか分からなかったのです。ようやく彼が解放された時、彼の身体になにかとても厄介なことが起こったことが明らかでした。

Oshoの手の写真
Oshoの手

わたしたちは後に、Oshoがタリウムに犯されていたことを突き止めました。その量は巧妙に計算されており、その効果は緩慢ながら致死的でした。Oshoは、偽善や欺瞞を白日のもとに曝しすぎたのです。さらに悪いことに、彼は、どうすれば人類が愛や平和、健やかな健康、豊かさのなかに生きられるかも見せてしまったのです。人類が痛みや苦しみから自由になれることを唱えた非暴力的な人に「毒を盛る」ようなことがアメリカ国内でなされるとは、25年前のわたしたちには想像できませんでした。 今なら「いやー、彼らならそういうことをやりかねないね!」となるところでしょうが。

さて1988年のこと、Oshoは36歳になったわたしに、「タッチをベースにしたドクター」なって、彼の身体になにができるのかを知る助けになってほしいと言いました。わたしは彼におよそ150回ほどの個人セッションを行いましたが、その一回一回がユニークなものでした。「Mora Machine」や「Indu-Med」「Bi-Com」高周波機器といったさまざまな電磁鍼の器械も使いました。

セッションの準備をするアヌブッダの写真
セッションの準備をするアヌブッダ

Oshoにタッチしている時、とても明らかなことがわたしの意識のなかに起こりました。それは・・・わたしがOshoにタッチしている時、彼もわたしにタッチしている!ということです。もちろん彼はわたしのハートと魂にもタッチしていましたが、わたしがこれを言う時、エネルギー的、スピリチュアル的な意味だけを言っているのではありません。

次のことを自分に尋ねてみてください:あなたが何かに触れるとき、同時にそれがあなたに触れることなく、触れるということはあり得るでしょうか? 「触れる」という単語そのものに「2」が含まれているのです。わたしが触れるものはどんなものでも、その瞬間、それもわたしに触れているのです。正確に言うと、わたしたちは一方だけが「タッチを与えて」いて、もう一方が「タッチを受け取って」いる、と言うことはできないのです。あなたは言えますか? そこで、わたしはこの新しい気づきとともに実験をはじめ、そこに隠された潜在的な意味を掘り起こそうとしました。それは、控えめに言っても、とても興味深いものでした。

与えることと受け取ること
そのためには等しく流れる必要があります
無垢な愛に満ちたハートが必要です
そして電磁エネルギーへの
とても深い理解も
わたしたちは振動と光とでできています

アナーシャとクライアントの写真
アナーシャとクライアント

タッチしている対象もまたあなたにタッチしていると理解したうえで何かにタッチする時、新たな変容の可能性が開きます。あなたは本当の意味で、瞬間瞬間に耳を傾け、許し、反応しはじめます。そのタッチは手から身体へと伝わり、中心にむかって光を放ち、あなたのエネルギーフィールドへと跳ね返ってきます。例えば、あなたのタッチが10kgのプレッシャーを与えた時と、10gのプレッシャーを与えた時に、どれだけの「エネルギーが跳ね返ってくるか」をグラフとして表せますよね。同じように、身体も違ったタッチを返してきます。するとあなたは、自分が受け取ったものと細かにやり取りできるようになっていきます。

すべての主要な「不随意の身体リズム」に触れることができます。つまり、人間のエネルギーフィールドの内側にある心臓の鼓動、呼吸、脊髄液の波が「返してくるタッチ」に敏感になれるのです。あなたが同時に与えて受け取る時、予測できないような、しかし努力せずともとても楽しく分かち合える、ヒーリングと瞑想の新しい錬金術のような融合が起こります。

クラニオを教えるアヌブッダの写真
クラニオを教えるアヌブッダ

あなたはこれまで、自分が周りの人々、動物、植物、物体にどう「タッチ」するかを観察したことがありますか? そして、あなたがそれらをどう感じるのかを、はっきりと感じ取ったことはありますか? 人間の手は、わたしたちの内側の愛と気づきが、わたしたちの外側にあるものと出会い、やり取りする場所です。わたしたちの個人の歴史と現在の心理すべてが「手の内」にあるのです。平均的な人は、わざわざ時間をかけて自分自身の手のなかにある生命力を「内側から」近しく感じて気づくということをしません。やってみると、人生が変わりますよ!

愛と気づきは一緒になってあなたの手を流れています。どのようなことをしていても、つねに喜びをもたらしてくれるでしょう。


瞑想的なタッチ


ひとつひとつのタッチは、あなたの呼吸のようです。それは一回きりのもので、決して繰り返されません。「このタッチ」と他のあらゆるタッチとを比べないようにしましょう。比べると、あなたは現在にとどまれなくなります。それぞれのタッチには、与えることと受け取ることが含まれます。タッチが真に瞑想的であるためには、判断しないこと、「タタータ(Tathata)」の質をもつことです。「タタータ」とはブッダの言葉で、「存在するものを無条件に受け入れること」を意味します。(平均点なボディーワーカーにとって、これはほとんど不可能なことですけれどね! ほとんどのシステムは、トレーニングのなかで何らかの形式の判断と分析に頼るような指導をしますから。)

瞬間瞬間に、恐れることなく、期待することなく、何も変えようとすることなく「内側を観照する」ためにタッチを使うようになると、驚くことになるでしょう! あなたのすべての感覚とともに、知覚のすべてのセンターを開いて油断なく、一回一回のタッチを感じてください。自分の直感を信頼して、人間のタッチを信頼して、リラックスして楽しんでください! 深刻になる必要はありません。愛、気づき、全面的な受容、そして身体の内にある自然の叡智が、癒しをもたらしてくれます。


わたしの道とわたしのワーク


あなたの身体は最大の神秘です
存在全体のなかでも

わたしはこれまで、さまざまな形式のタッチをベースにしたヒーリングを生みだし教えてきました。1982年以来、コンスタントに、情熱的に。学びはじめ実践しはじめたのは、1973年に遡ります。わたしはこれまでの歩みのなかで、インスピレーションに溢れた教師に多く出会い、「正しい時に正しい場所」にいました。わたしは、1980年にはOshoリバランシングの、89年にはクラニオセイクラル・バランシングの、同じく89年にはハラ・アウェアネスのクリエーターのひとりとなりました。これらの手法すべては、今日でもいまだに世界中で人気を集め実践されています。1993年、アナーシャとわたしはアルーンコンシャスタッチを共同で生みだし、毎年スペイン、日本をはじめ、世界各地で教えるようになりました。

さまざまな理由から、アルーンコンシャスタッチをとおして起こることには、計り知れないほどの価値と錬金術的な潜在性があり、「正しい教育」をもちいれば、誰もがこれを学び利用できる、とわたしは感じています。また、意識的な人の手、そしてタッチをとおして伝わり、光に照らされるものは、存在全体のなかでも最も神秘と奇跡に満ちたもののひとつであるとも感じています。

トレーニングの参加者 – 1979年プーナの写真
トレーニングの参加者 – 1979年プーナ

アルーンコンシャスタッチは光明を得た存在からの贈りものです。そして、それは人間の創造的なタッチという、現在進行形の意識的進化に愛をもって捧げられています。アルーンの個人セッションは「インタラクティブな瞑想」と呼ぶこともできます。そこでは「与え手」と「受け手」の存在と気づきのどちらもが、等しく欠かせません。これが、数あるボディーワークやヒーリングアートのアプローチのなかでも、アルーンコンシャスタッチをユニークなものにしているのです。それは、タッチの可能性という虹のすべての色、あるいはスペクトルを通り抜け組み込んでいるのです。Oshoからの直接のガイダンスのもと、アナーシャとわたしは、東洋と西洋のヒーリングのあらゆる発見を瞑想的に融合したものをつくりあげました。

時には、身体の自然な呼吸、尊い心臓の鼓動、頭蓋仙骨システムの大きな海のような呼吸にフォーカスした、とてもソフトで静かなタッチをもちいます。個々のセッションの展開のなかでは、体全体へのマッサージをふくめ、リラクゼーションや内面的な静けさを促します。さらに、動きのあるタッチ、リズムのあるタッチをつかって、脊椎のリバランシング、感覚神経の流れ、筋肉と骨格のそれぞれの結合部にもフォーカスします。センシティブで深いプレッシャー、三次元的なタッチで、タイヨガマッサージ、インドのタントリックヨガ、日本のハラアウェアネスのエネルギーラインにフォーカスし、身体深くの内在筋や臓器にある緊張、恐怖、痛みを解放し変容させます。すべてのセッションに共通する一本の糸のようにあるのは、メッタ(Metta:ブッダの言葉で「愛のこもった優しさ」)のタッチです。この繊細さとともに、顔、頭、ハートチャクラ、さらには人間のエネルギーフィールドの内側にある他の分泌腺やセンターにエネルギーをもたらします。

身体は扉です
身体は踏み石です
内なる意識への
そしてわたしたちの身体はつねに
現在にあります

わたしに言わせれば、アルーンが分かち合っているのは「瞑想のタッチ」です。トレーニング期間中は、Oshoによるダイナミック瞑想などのアクティブ瞑想、静かに坐ること、意識的に横たわること、ガイドとともにおこなうタッチと内なる解剖学のエクササイズをして、参加者が「内側を観照する」こと、何かを変えようとせずただ自分自身でいることの美しさを理解し味わえるように手助けしていきます。わたしたちは、健康、柔軟性、繊細さを促すために、そしてもっと大切なこととして、より広がりのある意識への扉としてタッチを使います。アルーンは、リラックスした、しかし油断のない、判断しない、愛のこもったタッチなのです。

翻訳元:Conscious Touch is Always Here-Now (oshonews.com) by Anubuddha