偉大なる先達

日の出の写真

インディア. アリーは「アコースティック・ソウル」の中で、こう歌っています。

これは私たちの先達を思い出してのこと ‐ サム・クック、マーヴィン・ゲイ、そしてドニー・ハサウェイ...
そして、かつて登場したすべての人
あなた方はドアを開けた...
あなた方のおかげで、変化が訪れる...

わたしは彼女のヴァイブ、彼女の音楽、彼女の歌の深みが大好きです...

わたしにとって彼女は、本物の神秘家で詩人です。わたしはまた、自分の作品のルーツ、つまりリズム・アンド・ブルース、そして彼女が学んだ人々への彼女のリスペクトの仕方も好きです。

なので、インディア、僕は君のアイデアを借りることにするよ。人間のタッチが持つ奇跡ともいえる恩恵を人類が理解できるよう貢献してくれた偉大な人々、つまり「私たちの先達」の何人かに敬意を評するにあたって。彼らなくして(一人一人の名前をあげるにはあまりにも沢山いるけれど)、アルーンコンシャスタッチと私たちの理解はけっして可能ではなかったのだから。


皆さん、どうもありがとう... そしてあなた方に恩寵が降り注ぎますように。

アルーンは人間の創造的なタッチという現在進行形の意識的進化に愛をもって捧げられています。ですから、こうした偉大な人々(男性であれ女性であれ)がタッチ、ヒーリング、瞑想の世界にはたした功績に、わたしが感じている愛と感謝をシェアできるのは、とても大きな喜びです。こうした人々の誰でも良いので、その人の洞察を時間をかけて学び吸収したら、あなたが持っている自分自身とタッチへの理解を広げてくれることは間違いありません。

どこから始めましょうか?

アルーンのルーツには、ヨガ、瞑想、東洋と西洋のほぼ全てのボディーワークがありますが、それらはインドで出会えます。ですから、まずは釈迦の友人であり、弟子であり、光明を得た医師でもあった人を紹介することにしましょう。



シバゴ・クーマーラバッチャ


「シバゴ」は、タイ古式マッサージの創始者として讃えられ、崇敬され、認知されています(わたしは1987年に出会いました)。しかし、彼ははるかそれ以上の存在です。彼は釈迦とともに生活し、旅し、何千人ものサニヤシンたちを治療しました。(殺害しようと食べ物に混ぜられた毒にあたった釈迦を彼が治療した際の美しい逸話もあります。)彼が体をケアし癒すためにとった手法は、ハーブ、食餌療法、呼吸への気づき、意識的な動き、瞑想、全身へのタッチでした。「エネルギーライン」とエネルギーセンター、つまり「チャクラ」への彼の理解があったおかげで、心身のあらゆる病を扱えたのです。シバゴと釈迦はまた、肉体が調和していれば、ヴィパサナ、つまり瞑想で座ることがとても簡単になるとも感じていました。

シバゴに敬意を表することで、わたしは同時に、はるか昔のインドにいた数多くの無名の「リシ(賢者)」あるいは「光明を得た覚者」らの計り知れない功績にも敬意を表しています。彼らは、自身に強烈なまでの内なる実験をし、「ヨガ・サーダナ」を発展させたのです。彼らの発見から、ヨガ・アーサナのさまざまな流派や手法が育っていきました。その中には、プラナヤーマと呼ばれる呼吸法、「アーユルヴェーダ」として知られる医療科学・生哲学も含まれます。


体とともにあるわたしの人生とワークは、ヨガとの蜜月に深く関わっています。それは1973年に始まりました。最初の三年間、わたしは毎日一人で練習していました。しかし1975年、わたしは一人の先生に出会い、彼が大きく助けてくれました。そしてわたしの人生は、それまでとは全く違う方向へと向いていったのです。

彼はスワミ・サティヤ・プジャリといい、カリフォルニアのサンディエゴでヨガスクールを運営して、とても成功していました。そのプジャリを通して、わたしは「受容は超越だ」という錬金術的な言葉を初めて耳にしました。彼はバグワン・シュリ・ラジニーシ(今は世界中で「Osho」として知られています)の近くにいた弟子でした。そんな訳で、わたしはプジャリからOshoのこと、彼の生み出したダイナミック瞑想やその他のアクティブ瞑想のこと、インドにある彼のアシュラムについて知ったのです。

1976年に初めてOshoに会いにインドへ赴いたとき、わたしは、プーナにも非常に深みがあり敬愛されているヨガの先生がいること、そしてクラスで教えていることを知って、とても嬉しく驚いたものです。彼の名はB.K.S. アイアンガーと言い、「ハタヨガの真髄」というヨガの古典とも言うべき本を書いていました。わたしは二ヶ月にわたって、スワミ・アイアンガーと、その息子さん、娘さんによるクラスに参加しました。24歳の西洋人だったわたしにとって、とても興味深いものでしたが、わたしにより長くより深い印象を残したのは、Oshoの臨在のなかでヨガと身体について学んだことでした。彼が著した、パタンジャリというヨガの経典をめぐる12冊の本、タントラ、タオイズムについての数え切れないほどの本は、こうした内なる科学についてこれまで発せられた洞察において、最も深遠なものとして今日に至っています。


F. マサイアス・アレクサンダー(1869〜1955)


タッチをベースにしたヒーリング手法における真のパイオニア。ヒューマン・タッチと自己の気づきで何が可能なのかについて、大きな足跡を残しました。わたしは、1970年代に彼のワークと、動作ついての彼のビジョンに出会えたことを深く感謝しています。

彼の本「自分のつかい方」は革新的で、動作における気づき、人体における「キネティック・システム」の大切さについて解説し、緊張と痛みを和らげることで、どう自分の動作を再教育できるかを解き明かしています。彼の二人の同僚、ウィルフレッド・バーロウ(「アレクサンダー・テクニーク」の著者)そしてメイベル・トッド(「Thinking Body: A Study of Balancing Forces of Dynamic Man」1937年出版の古典!)も、私たちの誰もが恩恵を得られるような貴重な洞察をシェアしています。


アイダ・ロルフ(1896〜1979)


天才で、非常に独創的なことをしました。大人の身体構造がそこまで急激にポジティブでダイナミックに変化し得るとは、かつて想像だにされていませんでした。彼女がなし得た重力と筋膜への理解、そして手を使って緊張を融和させることへの理解は、誰もが学ぶべきものです(ただ、彼女の手技の多くはやや角度が急で侵襲的にも感じられますが)。彼女の生徒の多くは、私たちの筋膜や身体への理解に大きく貢献しましたし、現在もし続けています。


ジャック・ペインター(1937〜2010)


重力とディープティシュー・マッサージに、ウィルヘルム・ライヒのエモーショナル・リリースと呼吸法を加味しました。非常に強力なミックス! わたしは1976〜77年にかけてジャックの許で沢山のことを学びました。


ミルトン・トレガー(1909〜1997)


わたしは今だに内側で彼のタッチを感じます。30年経った後も... とても現在にいて、とても丸みがあり、とても軽やかで、とても深い。そして、とても心地良いのです。彼は、わたしにとって最も大切な先生の一人です。彼のセッションはまた、とてもはっきりと分かるかたちで身体の構造と動きを変えてくれました。彼の教え方、そして感覚で学ぶやり方は、わたしのハートにとってとても大切なものです。

彼が「フックアップ(Hook-Up)」と呼んだものは、瞑想的タッチへと量子的飛躍を遂げました。わたしは、彼が亡くなる数ヶ月前にインタビューしたことがあり、今準備を進めている本でそれを明かそうと思います。純粋なインスピレーションです! ミルトンの言葉では次の引用が大好きです。これはあるクラスで語られたものです:

フックアップとはあり方のことだ... 他ならぬフックアップのこのパワーがあなたを囲んでいる。それはいのちを与え、いのちを巡らせるパワーで、常に存在してきた。ただ、それを手に取ろうとすることはできない。フックーアップしようとすることもできない。なぜなら、しようとすることは失敗することだからだ。トライしないこと。トライすることは努力であり、努力は緊張だ。私たちはトライしない。ただそれが起こるのを許すだけだ。あなたは感じるだろう。それはわたしがする動きでも、テクニックでもない。ワークのテクニックを落としなさい。[トレガーは]テクニックではないから。それとは異なるものだから。


モーシェ・フェルデンクライス(1904〜1984)


彼が至った脳、骨格、動きへの理解は、あらゆる「精神物理学的」教育プログラムの一部になるべきです。彼の手法をベースにした10回のクラスでしっかり学べば、あらゆる人の動きの能力、コーディネーション、その人の身体の内側の気づきを押し広げ、変えることができるでしょう。身体を理解しタッチする彼の手法は、ほんとうに私の目を見開かせてくれました。間違いなく...


ランドルフ・ストーン(1890〜1981)


わたしがランドルフ・ストーンと彼の「ポラリティー・セラピー」のことを初めて耳にしたのは1970年代のことで、非常に感銘を受けました。その頃同時にOshoに会っていなければ、彼のもとで学ぶことを選択していたかもしれません。何年もの後、わたしは彼の著書の多くを読みました(貪り読んだ、という方が適切かも!)。そして、彼は本物の神秘的科学者で、「バイブレーショナル・メディスン」の祖父だと感じました。

精妙なエネルギー、クラニオセイクラル・システム、タッチ、ヨガ、ヒーリングについての彼の知見と見解は、私たちが一般的に抱いている知識のはるか先をゆきます。彼は瞑想家であり、「新しい物理学」の先駆けでした。彼がシェアしたことは、Oshoと同じく、その死後から少なくとも50年経ってからでないと、人類一般には理解されないのではないか、とわたしは思います。

彼の長年の生徒であったロバート・カル博士は、ストーンと彼の人への接し方についてこう語っています:

彼のタッチには特別な請い求める質がありました。彼が誰かの苦しんでいる肉体に注意を向けると、彼の手からはその受け手の気づきに向かってある種の問いが投げかけられるのです。それはいのちへの問いかけであり、意識的になるようにという要請でした。抵抗する肉体が彼の手の下でその収縮を解放しはじめ、振動しはじめるのを数多く見てきました。

すると彼は笑って、その手順全体のシンプルさを説くのでした。彼は高らかにこう言ったものです。「結合組織のなかでエネルギーがブロックされていただけさ」そして「恐らく消化不良も。そう。ここのその部分をちょっと助けてやるだけで良いのさ!」すると患者さんは、この男のずんぐりした親指で触発された幾重にも折り重なるような感覚に驚いて目を見開いたものです。

彼は、検知針であり探索機のような手を持つヒーラーでした。必然的にその手は魂が隠れ、広がるのを拒んでいたり、オープンになろうと苦戦している場所を探り当てました。その隠れた場所でこそ、ストーン博士は素晴らしいワークをしたのです。



指圧、ツボ押し、鍼、チャクラ・バランシング、リフレクソロジーの発見者たち、私たちにヨガをもたらした古代の賢者たち、こうした「エネルギーライン」や「エネルギーポイント」をベースにしたヒーリング手法の発見者たちは、瞑想的科学者でした。彼らは皆、人間のエネルギーフィールドへの真に「ホリスティック」な理解に根ざしていました。

1975年に初めてフットリフレクソロジーのマッサージをする女性を見た時、わたしはその場に釘付けになりました。そして、タッチの仕方を自分が習いたがっていることに気づいたのです。わたしには1978年インドで出会ったスワミ・プラシャンタムという、ポルトガル出身の古い友人がいました。わたしがその彼にディープティシュー・マッサージとポスチュラル・インテグレーションを教える代わりに、彼が指圧の理論と応用方法を伝授してくれました。

これは、インドで(そして後には合衆国で)Oshoと彼のアシュラムにいることの数多くのボーナスの一つでした。ヒーリングアートに携わる私たちは皆、他の人と喜んで分かち合い、そこには競争や嫉妬の恐怖は一切なかったのです... そんなことから、わたしは、非公式ながらも本物のエキスパートから、さまざまな形式のヒーリング法や瞑想法をはじめ、ツボ押し、鍼、サイキック・マッサージ、チャクラ・バランシング、オステオパシー、カイロプラクティック、アレクサンダー・テクニーク、マッサージ、太極拳の極意を学ぶことができたのです。なんて恵まれているんでしょう!


イルザ・ミッテンドルフ(1910〜2009)


「呼吸の気づき」に彼女が果たした革命的な貢献に「呼吸の動きの三つのルーム(ボトムルーム、ミドルルーム、アッパールーム)」の発見があります。開始ポイントとして無意識的な呼吸を利用することで、感覚し、感じ、焦点を合わせ、新しい可能性に気づくことを通して呼吸を意識的なものにします。彼女が唱えた「息がやって来るのを許し、息が出ていくのを許し、息が自ずから戻ってくるのを待つ」というフォーミュラは、瞑想に興味のあるあらゆる人にとって、非常に深遠な意義をもっています。彼女は、動作への気づきのためのエクササイズや実践的なタッチのための手法を開発しました。それは、参加者が呼吸を自分自身を知るための鏡として、自身の内側の世界を体験するための方法として、内なるスペースを作りだし、その内側に広がることを助けてくれます。


ジョン・アップレジャー(1932〜2012)


彼は、コンシャスタッチの進化において導きの光となった一人です。そして今だにとても重要です。彼がわたしの人生に登場したのは1983年のことで、ミュンヘン出身の良き友人であり同僚でもあったロバート・シュレイップ博士を通してでした。私たち二人はその何年も前から、Oshoリバランサーの一期生でした。そんな縁から、彼はアップレジャー博士の革新的な古典「クラニオセイクラル・セラピー」をプレゼントしてくれたのです。

ロバートがクラニオセイクラルの基礎的な手順を教えてくれると、わたしは即座に自分のワークであるリバランシングに取り入れ始めました。その頃のわたしはオレゴン州にあったOshoのコミューンで教えていたのです。わたしのタッチの感覚と敏感さは目に見えて広がり、それによって人間のエネルギーフィールドへのわたしの理解も変わりました。

アップレジャー博士がこのワークを一般に公開した勇気は、オステオパシー界では大きな物議をかもしました。それまでは医師にしか教えられていなかったからです。9年後にイタリアでのアドバンスト・クラニオトレーニングでジョン博士に出会った時、わたしは彼に長時間にわたる挑発的なインタビューをしましたが、彼がヒーリングアーツにかける情熱、愛、献身は目に見えるかのように感じられました。フロリダ州にある彼のクリニック、彼のすべての著書は、どれをとっても助けになります。


ウィリアム・ガーナー・サザーランド(1873〜1954)


とても神秘的で科学の天才です。身体内のクラニオセイクラルの波、すべての頭蓋骨の運動性とその動き、文字通り何百通りもあるユニークで簡単にできるヒーリングコンタクトを発見する彼の旅路によって、彼はヒューマンタッチの進化を語るうえで、極めて稀な位置にいます。彼の妻、アダは、彼の発見や人生について「With Thinking Fingers(考える指とともに)」という素晴らしい本を書いています。タッチと身体について興味のある人は、誰もがこの本を読むべきでしょう。愛に溢れたこの本はわずか100ページほどですから。

わたしは読みながら何度も泣きました。ウィル・サザーランド自身の本も非常に情報量が多く、インスピレーションに満ち、人体の神秘と軌跡について新鮮なアイデアがたくさん詰まっています。この奇跡的な人について語るのは、自分にはできないほどです... とても地に足が着いていて、自然に根ざし、聖なる存在とつながっていたのです。


アンドリュー・スティル(1828〜1917)


オステオパシーの父であり、ウィル・サザーランド他、数多くのタッチをベースにしたヒーラー達の先生でした。彼はまた非常にスピリチュアルな発明家で、今日の世界でも必要とされている、身体と生命をめぐるヴィジョンを始める助けとなりました。

スティルは19世紀末から、東洋の修行では極めて一般的だった「師弟」関係にとてもよく似たかたちでシェアし、教育することを始めました。彼の存命中に「オステオパシー」が生まれましたが、これは宗教的な出来事です。彼は、あらゆる病気を治療するにあたって質的に異なるアプローチを提供したからです。彼は教えの中で「テクニック」を強調せず、代わりに、生徒たちにエネルギーフィールドを理解するように求めました。解剖学と生理学について彼と彼の弟子たちが達した理解の深さは、ただただ驚嘆するしかありません!

彼とともに学んだ多くの人々、そして彼の功績を研究するために幾年も費やした人々によると、いのちの体験、つまり動的解剖学(dynamic anatomy)によって学生たちのなかに眠る知覚のセンターを目覚めさせることこそが、彼の望みでした。やがて、患者のなかに反映されるいのちの体験への幾年にもわたる集中した注意、目的を持った意志、深遠で判断のない集中を経て、施術者は患者の動的機構とより高いレベルでやり取りできるようになっていきます。彼はオステオパスへと進化していくのです。それがスティル博士が自分のワークをシェアするにあたって持っていた望みでした。

(スティル著、1910年刊行「Osteopathy: Research and Practice(オステオパシー:研究と実践)」の前書から)


ローリン・ベッカー(1910〜1996)


ウィル・サザーランドの友人であり生徒でした。彼はサザーランドの「液体の光(liquid light)」というビジョンを、クラニオセイクラルの波へと、より深い深い静けさとヒーリングの可能性へと変換しました。

西洋の医師としては極めて稀なビジョンで、非常にインスピレーションに満ちています。わたしは彼の著書が大好きで(まずは「Life in Motion」を試してみてください)、彼はクラニオセイクラルの探究の灯火を新しい世代の探究者たちへと引き継ぎました。そのうちの多くをここで紹介することになるかもしれません...


ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジェフ(1872〜1949)


スピリチュアルな神秘家であり、第四の道の偉大な教師でした。彼はわたしのお気に入りの著者の一人でした。彼の本は何度も何度も読んで、読み返してきました。わたしが特に好きなのは「ベルゼバブの孫への話」です。この人物については語りきれません。彼の「ストップ」テクニック、自己想起、「人間の三つの脳と三つのセンター」、非同一化、ムラ・ナスレッディンへの愛... グルジェフは驚くようなヒーラーでもあり、内側の肉体的、感情的、エネルギー的解剖学への彼のビジョンは、わたしのビジョンを押し広げより良いものにしてくれたのです...


その他


ドリス・ヤコブス
ガーダ・アレクサンダー
ジーン・ヒューストン
ノーマン・ウォーカー博士
フレッド・ビシチ博士
ダグラス・グラハム
ジャラールッディーン・ルーミー
バーナード・ジェンセン博士
リチャード・アンダーソン自然療法博士
アーノルド・アーネット
ハーバート・M・シェルトン

その他にも数多くの科学者、神秘家、ヒーラー、ダンサー、ミュージシャン、瞑想家、料理家、庭師、友人、愛する人々が、今なお進化を続けるアルーンコンシャスタッチの一部となってきました。

翻訳元:GREAT TEACHERS by Anubuddha
(翻訳:サハジョ)