2009/06/29

ドイツでのワークショップ体験記

ラサタの写真4月後半から5月にかけて、一ヶ月半ほどアヌブッダとアナーシャがドイツに滞在し、ワークショップやコースが開催されました。私も、南ドイツの美しい山々に囲まれたアルゴイ地方でのワークショップに参加してきました。たった3日間と思えない濃縮された時間の中から、心に深く残っていることをシェアしたいと思います。

国境(ボーデン湖)に近いこともあり、参加者の半分がスイス人、半分がドイツ人、と私の計24名。自己紹介をしていくうちに、多くがプロのボディワーカーであることがわかってくると、今回タッチのワークショップが初めての一人が、少し困惑した様子で質問した。「このグループは、ビギナーが参加してもいいんですか?」 アヌブッダが、「この中で、他にビギナーの人いますか?」と皆に尋ねる。すると全員がいっせいに手をあげた。

皆が過去の経験や知識を脇に置いて、今この瞬間の未知の中に入っていく用意がある。これこそアルーンのスピリット! いい始まりだと思った。

参加者の中の6人は、数年来のアルーンの友人で、会うたびに、それぞれの人生の経過をシェアしあうのが楽しみだ。スイス人のシアリは、70代から90代のお年寄り対象に、コンシャスタッチのクラスを始めた。一日座ってテレビを見ることしか楽しみのなかったお年寄りたちが、シンプルなタッチを分かち合い、からだを感じる喜びを体験できるその会を毎回楽しみに来てくれるそうだ。会社をやめて、セッションだけで生活を始めた友人たちや、治療院での仕事の苦労話など皆のアップ&ダウンや冒険物語に話が弾んだ。

このグループでは、タッチとともに、アルーンコンシャスタッチのエッセンスであるさまざまなテーマを深く掘り下げていった。 コンシャスタッチでは、ジャッジメント(マインドが下す判断、意見、批判)なしに、比較なしに触れることが基本にあるが、それは言葉でいうほど、簡単なことではない。タッチは、ハートフルなスペースや気づき、くつろぎ、親密さを分かちあうとても美しいものであると同時に、微妙に、私たちの無意識や条件付けも映し出す。自己批判や、相手へのジャッジメント、間違えることの恐れ、認められたい気持ち、期待、自分を証明しようとすること、などなど。それらに気づいていないと、タッチの喜びや効果を妨げ、中心を失い消耗する原因となる。

何故、私たちは、ジャッジするのか、ジャッジメントがもたらすものは、何なのか、というアヌブッダの静かだが気迫に満ちた問いかけに、誰もが真摯に自己を見つめ、意見を交わしあった。セッションのあいだ、たえず私たちに、自分のマインドのジャッジメントに意識的になること、内側を観ることを勇気づけ続けてくれた。

「私たちは、自分が誰かを知らないので、自分や相手をジャッジすることで、自分の場所、位置を定め、安心しようとするのです。」とアヌブッダは言う。

タッチという鏡に映し出されるものが何であれ、見守り続けると、非本質的なものが、どんどん剥がれ落ちていくようだった。 相手も自分も、そして起こっていることにも、あるがままへの信頼が広り、タッチがどんどん楽で自由になっていく。

また、アルーンでは、タッチのテクニックを学ぶだけでなく、テクニックを使う手のエネルギーに気づきを向け、その背後にある、私たちの在り方に意識を向ける。このグループでも、瞑想や呼吸、エクササイズで手の中に深く入り、手と、3つのセンター(ハート、ハラ、直感)が、つながってタッチをすることをガイドセッションで探っていった。

手のすみずみまで、意識がゆったりといっぱいに広がっていくと、余分な力がぬけて、自分と手がつながってくる。そして同時に身体の中に、くつろいで、しっかりと今ここに存在すればするほど、相手の身体をもっと感じて受け取ることができるのが、はっきり体験できた。それは、タッチを受けるときも同じだ。

「タッチを与える側も、同時にタッチを受け取っている。受動的か能動的かの違いだけで、タッチが起こるときは、両方の側がタッチを与え、受け取る。人だけでなく、椅子にすわっていても、坐骨と椅子のあいだにタッチが起こる。ベッドに横になれば、一番はっきり触れる仙骨や、背中や後頭骨などと、ベッドのあいだにタッチが起こる。」こんなあたりまえの言葉が、気づきを呼び、マジックを起こす。

セッションテーブルに横になり、まだパートナーの手が触れる前に、思い出したこの言葉にガイドされるように、重力による身体のベッドへのタッチと、押し返すベッドからのタッチの両方に自然に意識が向かった。すると突然、四方八方から、エネルギーが溢れてきて細胞が、生き生きと目覚め始めるのを感じた。ただ一人ベッドに横になっているだけで、こんなに興味深いなら、生きている人間のタッチを受けることの可能性は途方もないと思った。

セッションを交換するたびごとに、ジャッジメント、比較や期待なしに、シンプルに今ここにいることに繰り返し立ち戻った。意識的にならないともったいなくて、ひとつひとつのタッチを大切に喜びと感謝で与え、受け取ることができた。

「痛みを取除こうとするのではなく、この瞬間に、その人が自分で身体の内側を感じるために、タッチを使う 。相手を変えようとせず、私たちのBeloved Witnessing(親愛なる、観照する質) の効力を体験するには、たくさんの信頼が必要です。」

そんな言葉が、私たちをプレッシャーから解放し、目的志向になりがちなマインドから、今ここ、ただ在ること、見守ることに連れ戻す。アルーンのタッチは、静かに触れているものだけではない、動きがある、スピードもある。深層筋への深い圧を加えるタッチもある。行為の中で、無為を学ぶ禅の道だと思う。

最後のセッションで、ミュンヘンから来た今回タッチが全く初めてだった男性と組んだ。誰もがその人のままで受け容れられているグループのリラックスした雰囲気の中で、彼のタッチは、のびのびとした存在感と繊細で優しい思いやりに満ちていた。正直驚くほど満足のいくセッションだった。テクニックに生命を与えるものは、使う人間の意識と愛だとつくづく感じた。

「アルーンコンシャスタッチは、過去、現在、未来のブッダからの贈り物です。いにしえの時代から脈々と受け継がれ続けるヒューマンタッチの創造性と意識の進化に捧げられています。

コンシャスタッチはセッションに限りません。お皿を拭くとき、木に触れるとき、動物に触れるとき、そのタッチに気づき、同時に触れているものから受けるタッチに気づく。手だけでなく、自分の息が出入りする時に起こる内なるタッチ、言葉や目、存在のタッチに意識的になることで実践できます。

ここにいる皆さんにも、それぞれの生活の中で、このサンガに参加することを歓迎します。」

この言葉でグループは終わり、みんなで踊り生命の喜びを祝った。身体も心も溶けて、ひとつの海のうねりの中に還っていくような一体感だった。

たくさんのギフトに満ちていて、表現しきれませんが、この辺で、終わりにします。
このあと、9日間のボディワーカーズトレーニングが引き続いてありました。それは、またいつか別の機会に!最後まで読んで頂いてありがとうございました。

LOVE,ラサタ