2016/06/07

ボーン・ウィスパリング

「Red Alternativa」(マドリッド、スペイン)——2003年3月〜4月

私たちは誰一人、痛み、怪我、恐怖から逃れられません。極めてシンプルな話、好むと好まざるとにかかわらず、それは人生の一部です。私たちはある意味「精神物理的」有機体で、「痛み」とは、私たち一人ひとりが受け取り意識的に理解できるよう学ばなければならないエネルギーのことです。(腰の痛み、消化不良、「傷ついたハート」、首の凝り、睡眠障害、切傷、ショック、浅い呼吸、足の痛み、肩の凝り、足の裏の痛み、手首の骨折、足の疲れ、風邪などを思い浮かべてみてください。誰がこうしたことから自由でいられるでしょう?)

皆さんも自分自身に尋ねてみてください。「痛みや強い恐怖を体験する時、心身の内側で何が起こるのだろう?」と。

トレーニングで内なる解剖学を教えるアヌブッダの写真

あなたの心身の組織(そこには私たちの筋肉、骨、関節、神経、防御機構、思考、体液、ホルモン、臓器、呼吸、筋膜が含まれます)には、痛い思いをしたあらゆる「肉体的」「心理的」な出来事の記憶が「埋め込まれ」ています。「痛み」によって肉体の組織は縮み、ポジティブなエネルギーを送る能力を失います。肉体がそこで動かなくなったり、動きが制約されたりします。その部分の内なる意識は低くなり、気づきと敏感さのレベルが下がります。その部分との「接触(タッチ)が失われ」用心深くなります。そして、それは私たちの「エネルギーフィールド」の他の部分にネガティブな影響を及ぼします。その「動きのパターン」や、私たちの骨格にあるそれぞれの関節が動ける範囲・滑らかさは、その関節を包む隣接する組織へと瞬く間に「刻み込まれ」ます。関節と関節の「間」の相互作用と連携もまた「動きのパターン」を決定する要素になります。また脳のなかで「マインドが持つ」記憶/感覚/運動のつながりもそうです。(より深い内なる解剖学のレベルでは、関節それぞれの内側にあるこうした専門的な組織は「自己受容体」として知られ、私たちに動き、感覚、内なるスペースの感覚という気づきを絶えずフィードバックしています。)

この緊張/防御の関係が無意識のままで恐怖指向になっていると、やがてその関節はこわばり、歪んだ動きのパターン、痛みを生みだします。心の中には無意識的に、その部分がまた怪我をするのではないかという、絶え間ない恐怖があります。そうなると私たちは、こうやって緊張させておけば新たな痛みを防げるはずだと考え、その部分をかばうようになります。ほとんど、将来の痛みを「予測」しているかのようです。事実、この潜在意識的な恐怖があることで、痛みは心身のより深くに隠れてしまいます。この精神的なエネルギーが有機体全体に影響するのが分かるはずです。何ができるでしょう?

私たちは、関節を意識的で、三次元的で、液体のように動かすことで、その部分に「新しいメッセージ」を送ることができます。それが、それまでのパターンを変え、動きや敏感さを広げてくれます。意識的にタッチすること(コンシャスタッチ)と共にあるこの「新しいメッセージ」こそが、わたしの言う「ボーン・ウィスパリング」です。

私たちは、動物たちとその動きをリラックスして観察することを通して、多くのことを学べます。特に犬は、心身の怪我や痛みの影響がわかりやすく出ます。絶えず叩かれ怒鳴られたり、他の犬によって支配されたりした犬のような極端なケースを目にしたことがあるはずです。その犬の肉体は硬く、目は絶えず怯え、呼吸は不規則です。そして、いかなるコンタクトも信頼せず歓迎もしません。とても不快な体験を通して学んだ恐怖のなかで生きて動いているのです。その犬の肉体やこころには信頼が全く存在しません。また痛めつけられたり怖がらされたりすることを「予測」しています。肉体はけっしてリラックスせず、動きはぎくしゃくしていて神経質です。周りの環境、他の動物たち、人間にくつろぐことも溶け込むこともしません。(言い換えると、「今ここ」にいる能力を失っているのです。ネガティブな記憶と恐怖に満ちた予測に囚われて生きているのです。)これは馬にも猫にも起こります。そして人にも!

エクアドルの牧場で馬とともにいるアヌブッダの写真

アメリカの西部には、ダメージを受けた動物が信頼、調和のある優雅な動きを取り戻せるようにする人がいます。彼らは「ホース・ウィスパラー」として知られています。彼らは、馬が「スペース」を持ち、脅威のない癒しのある、個人的な方法でやりとりする能力を持っています。時間をかけて、ポジティブに耳を傾け、辛抱強く触れることを絶えず繰り返すことで、新しい信頼が確立されるのです。そのメッセージは、内面の防御は「今」という有益な目的のためにはならない、ということです。さらに、耳でさえトラウマのような深い傷を負って「警戒態勢」にあるので、優しい言葉と音でなだめてあげる必要があるのです。こうした理由から、すべてのメッセージは「ささやき声(ウィスパー)」で送られます。その「コミュニケーション」は、実際は「コミュニオン」と呼んだ方がふさわしいやり方でなされます。ウィスパラーは深い気づきの状態へと入ってゆくので、あたかもその動物のもっとも深い秘密を知っているかのように、オープンな観察者のままで動物を感じとり対応できるのです。

現在の言葉で言うと、いのちのあらゆるエネルギーはその本質として「電磁的」です(ヨガや深みへと入るその他の瞑想法を実践している人なら、このエネルギーが内側で流れていることを体験したことあるでしょう)。つまり、あらゆる痛み、または適切でない緊張は、私たちのエネルギーフィールドの内側で電磁的なバランスを乱すものとなります。(長い時間をかけて「内側を観る」ことをしないと、わたしが言っていることを理解したり感じ取ることは難しいかもしれません。)「ボーン・ウィスパリング」には、自分の手と、その手がタッチしている身体の内側でこれまで起こったこと、起きつつあることに気づきのすべてと共に耳を傾け、詳細に敏感に観察することを学ぶことが含まれます。現在の言葉を使うなら、その人の「調和のとれた」波と「調和の乱れた」波を観ることを学べるのです。そして、その調和のとれた波を「増幅」して、調和の乱れた波を打ち消し方向を変えてシステム全体へと戻すことができます。すると、乱された要素に「リバランス的な影響」をもたらせるのです。アルーンでは、こうした新しい電磁的な波を再び心身へとくまなく広げていきます。タッチへの反応は、その人自身の内側の振動のみに耳を傾けることで引き起こされます。

そしてヒーリングが始まります。三日もすれば、犬や馬はあなたが近寄るのを許してくれます。そして、もしあなたの手が彼らの肉体の中にある緊張をほぐし解放する方法を知っていれば、彼らの心も「レット・ゴー(解放)」を体験し、信頼と内なるハーモニーという体液が邪魔されることなく流れます。触れられると痛い部分は、肉体のいたる所にあります。私たちは、ゆっくりとタッチします。そしてソフトに。そして深い指圧と摩擦、液体のように動くタッチ、肉体の部分部分をつなげるタッチ、骨の周りで硬くなった結合組織を動かし、丸い動きで軽やかな三次元的な手のコンタクトをもちいます。多くの場合、手のひら全体をつかってソフトに、そしてとてもリスペクトに満ち愛のあるタッチをします。そうしながら体を調和のとれたあり方でタッチし動かします。あらゆるものを感じ取り、それぞれの身体(電磁エネルギーフィールド)の周波数にチューニングしながら。ほどなく、受け手の動物はさらなるコンタクトを歓迎し楽しみにするようになります。そして生にたいするその人の内なる愛と情熱があなたの手と外側の環境に向かって動き始めます。エネルギーの円環がふたたび流れ始めます。小さな犬が再び自由と共に動き、柔軟性と信頼を取り戻す様子を目のあたりにするのは驚きでもあり、喜びです。

OSHOの手の写真

今や30年にわたって私たちは人間のエネルギーフィールド(一人ひとりの個人が、肉体的、精神的、感情的、エネルギー的、想像的で思慮深い潜在性からなる有機的な統合体です)の神秘を探求し学んできました。アルーンは、現在も続いている人間の創造的なタッチの進化と瞑想に捧げられています。私たちは生きる有機的統合体としての「身体」と「意識」であると捉え、シンプルにそう教えます。アルーンは人体に組み込まれた英知への深い畏敬の念に根ざし、人間のエネルギーフィールドが持つあらゆる自然な機能と相互作用への愛と気づきを育みます。私たちは、東洋(アヌブッダとアナーシャは、インド、日本、タイで20年間のほとんどをヨガの実践、セッションとトレーニングの提供、瞑想に費やしてきました)と西洋(二人は、合衆国、スペイン、ポルトガル、ドイツ、イタリア、ギリシャ、オランダ、フランスで教えてきました)からの英知、数多くのシンプルで直接的なタッチとヒーリングの手法を吸収してきました。あなたが興味を持つ創造的なタッチへのアプローチや肉体がどのようなものであれ、アルーンに含まれる理解と気づきはそれを広げてくれることでしょう。

「コンシャスタッチ」はテクニックではありません。それは、「この瞬間に」直接に感じること、判断のない、分析しない、他の瞬間の体験と比較しないでするタッチを学ぶことです。あなた自身の内側にいて、恐怖もなく予測することなく、肉体の電磁エネルギーフィールドの内にあるいのちを感じることです。肉体がくつろぎ、内なる気づきが広がりを持てるよう、自分のタッチを安全で、親密で、ポジティブに使う方法を簡単に学ぶことができます。アルーンはまた「インタラクティブ瞑想」とも「ボーン・ウィスパリング」とも呼べるものなのです。

翻訳元:Bone-whispering by Anubuddha
(翻訳:サハジョ)