2019/04/16

禅マスターOsho、電磁気、AMBA〜アルーン・メディスンブッダ・アカデミー Part 1 by Anubuddha

アヌブッダの写真

💖 あなたの思考、言葉、行為... それらすべてに電磁的マジックがあります... それを近しく観て驚いてください! 

「意識に満たされ振動する電磁エネルギーフィールド」を捉える私たちの知覚がほんとうに起こる時、私たちは存在の異なる次元へと入ります。

これは永遠の法だ:🌹 ブッダの言葉では「Aes Dhammo Sanantano」 🙏

意識的なタッチと共にあるこの「電磁的」知覚、若返りのための排毒、瞑想としての呼吸、頭蓋仙骨ヒーリングが、数あるアルーンリトリート・瞑想を紡ぐ糸です。7月 16〜 31日にかけてスペイン、ラリータでこれをわたしたちと共に体験してください。参加したい場合は カマラ に連絡してくださいね!🌹🕉💖🙏



OSHOの写真

禅マスターOsho、電磁気、AMBA〜アルーン・メディスンブッダ・アカデミー Part 1


by Anubuddha

「Oshoが僕に『何を』して欲しいって?」そんな言葉が口を衝いて出てきました。ニーラム(インド人のOshoの秘書で古くからの私の友人)が、Oshoからの美しいメッセージを私の部屋まで伝えにきた時のことです。私はそれまでの10日間、Oshoに日に1〜2度のセッションをしていて、とてもうまくいっていました。

ここでの時間は「プーナ2」呼ばれる1988年のことです。場所はコレガオンパークにあるOshoの素敵なコミューン。オレゴンのラジニーシプーラムの閉鎖から長い月日の後、友人たちが世界中からなだれ込んできていました。当時ヒーリングアートの分野に携わっていたOshoの弟子たち皆にとって、Oshoの健康はとても大きな懸念でした。

私は知らなかったのですが、サニヤシンの医師や鍼灸師たちが非常にハイテクで高価な「モーラ電磁鍼」ヒーリングマシーンをドイツから持ち込んでいました。このモーラという機械は、多くの病気をまったく薬を必要とせず非侵襲的に治療できるのというで使用されていました。この機械なら、アメリカの刑務所で一週間以上にわたって監禁されている間に施された毒薬の悪影響からOshoの体を快復させるのに役立つかもしれないとされていたのです。

モーラをはじめとする機械がアシュラムに届き、それがOshoに伝えられると、彼はニーラムとアムリト(Oshoの主治医)にこう告げたのです。機械のことを学び彼に治療を施すのはアヌブッダにやってもらいたい、と。

それまで(1988年)、私はあらゆる機械と相性がまったくあいませんでした。エネルギーやヒーリングへの私のアプローチはとても感覚的で直感的だったのです。1988年に至るまで8年以上にわたってコミューンのメディカルセンターで働き、さまざまな「ヒーリングデバイス」を目にしていたものの、それらをあまり好ましく思っていませんでした。というか、たいして関心を払っていませんでした。ヒーリングマシーンのなかには、大いなる時間の無駄で過大評価されていると思われるものもありました(それ以来、私は非常に優れたヒーリングデバイスを目にし、体験もしてきました)。

1975年以来Oshoと彼のビジョンと共にいて、私は東洋解剖学の基礎を理解していましたし、集中的なヨガの実践を通してエネルギーラインへの理解も深めていました。しかし鍼の専門家ではありませんでした。科学とヒーリングの最新トレンドについて沢山学んではきたものの、一般的な生理学や、特に「電磁気」の知識は豊富とは言えませんでした。私がこうした分野で知っており探究してきたことのほとんどは、それまでの12年にわたってOshoの言葉をたくさん聴くことで吸収してきたものでした。

そんなこともあり、その極めて複雑で繊細なモーラマシーンのすべてを学び、Oshoをそれで治療して欲しいと言われた時、私は絶句してしまったのでした。自分にとって状況がさらに厄介だったのは、そのモーラをOshoのために手配したサニヤシンの医師や鍼灸師たち、つまりその機械の仕組みを理解している人たちが、その機械でOshoを治療する予定だったことでした。ですから、アヌブッダがその任にあたると聞かされた彼らは、全員が取り乱し、この作業に私がいかに向いていないかを言い募りました。良い結果を得るためには熟練のテクニシャンが必要だったのです。彼らはOshoに言ったものです——アヌブッダは医師としての免許も持っていないうえに、鍼灸師としての訓練を受けておらず、この複雑難解な機械の背後にある科学を理解してない、と。すべて本当でした。そして、もちろん、私は「その仕事のためのロビー活動」もしませんでした。

しかし、ニーラムによると、Oshoはこうした訴えすべてに耳を傾けた後、ただ頷いてこう言ったと言います。「アヌブッダはとても東洋的なエネルギーを持っており、そのコツも知っている。そして十分知的でもある」と。

そういう訳で、その翌日から、生と人間のエネルギーフィールドへの私の理解は、神秘的で思いも掛けない新しい方向に向いたのでした。そして今だにほぼ毎日のように、新しい洞察を私にもたらしてくれています。電磁エネルギーの秘密と神秘、さらにはヒーリングと意識的に生きることとの関連へと私を誘ってくれたOshoには感謝の気持ちを表わしきれません。

OSHOの写真

Oshoは間違いなく禅のマスターでした。電磁エネルギーのマスターでもあり、正真正銘の生きた「メディスン・ブッダ=薬師如来」でした。

Osho(彼はまたバグワン・シュリーとも呼ばれていました)は時に、本物のトリックスターでもありました。実際には聖なるトリックスターで、信じられないほどの叡智と正確さを備えていた訳ですけどね! Oshoの何千人という数多くのサニヤシンは皆、彼と直接に関わっていました。そしてその結果、間接的にお互いに関わっていました——良くも悪くも! コミューンでの日々の状況と戯れることで、Oshoは、ある強烈な流れを作りだし、私たち皆の人生を変革するような学びの体験を生み出していました。大きな努力なくちょっとした言葉や一瞥でもって、Oshoは私たちを励まし、それぞれの人の敏感なポイントや無意識の癖を刺激することができました。

これがどのようなものかが感じてもらえるように、私の個人的な話をしましょう:1988年3月、私はOshoの「タッチをベースにしたドクター」として、モーラでOshoに治療していました。場所は美しく調度されたOsho専用の歯科治療用の部屋でした(そこには医師のアムリトと同じく医師であるデヴァギートもいました。モーラが到着した際、Oshoはとても嬉しそうにデヴァギートに私の「アシスタント」を務めるように指示していました)。

今でも私はOshoの姿をはっきりと思い浮かべることができます。ルンギを着て座り、最新の「その日のホットトピック」について笑っている、そんな姿です。プーナ2と呼ばれるコミューンの時代です。「石頭のニシュクリヤ」について、ブッダホールで起こったその前の晩の講話の際の笑い話として、Oshoがこう言うのを私は耳にしました。「... 誰かをヒーローに仕立て上げるのはとても簡単なんだ.... そして彼らがそこから生まれる注目にどう応じるかを見るのはとても興味深い」と。

私の耳はチクチクしていました。というのも、つい先ごろOshoは皆の前で私について語り(とても愛に溢れた美しいしかたで)、マスターの注目を受けることの「苦悩とエクスタシー」を非常に直接的に体験していたからです。私は彼の言葉をしっかりとハートで受け止めていました。

ここで言う「エクスタシー」はOshoから直接やって来る愛と承認でした... 一方の「苦悩」は周りのサニヤシンたちからの逆風でした。Oshoの周りのサニヤシンは「ポジションを求めてうまく立ち回り、それとなくお互いに肘鉄を加える」能力に長けているのです。プロのサッカー選手でさえも羨むほどに! ***

*** こうした観察が偏りすぎないように、これまで44年間にわたって私が出会ってきた何千人ものOshoの友人や弟子たちに、私がどれほど感謝し愛しているかもシェアさせてください。

Oshoのサニヤシンがいなければ、私のスピリッチャルな成長、ヒーリングアートの発展はこれほどまで早く、そして深くは動かなかったはずです。ここで私がしているのは、Oshoの臨在と覚醒の仕掛けという透明な光に照らしだされた私たちの「無意識の条件づけ」が生み出した影の部分に少し光を当てているだけです。

Oshoの講話はノーベル平和賞に匹敵するもので、この問題だらけの惑星でのスピリチュアルな歴史全体を照らしだしています。しかし、よくOshoが私たちに個人的に語ったように、「私の人々」へのOshoの揺るぎない愛はひたすらパワフルで、そこにはいっさいの限界はありませんでした。Oshoはマスターとして容赦なく、そしてありとあらゆる方法をで、日々の状況や世界の出来事を利用して彼の弟子たちを目覚めさせ、より高い意識へと持ちあげようとしていました。

「Oからのコメント」ひとつが、いろいろな所に跳ね返り、何百人もにヒットすることもありました。何千人とは言わないまでもね! また、それと同じくらいOshoはあらゆる存在に慈悲深く愛に満ちていた、と私は感じます。その同じ「ショット」が同時にサニヤシンではない人々を刺激して目覚めさせることもあっただろうし、実際にそうなったこともありました。そして彼の「奇跡的なショット」は今日に至るまで反響し続け、個人的・集合的無意識、そして集団的な愚かさを打ち続けています。

若き日のアヌブッダの写真

私にとってOshoの愛と慈悲は、究極の真実への妥協のないコミットメントとともに、イエスやブッダ、老子、達磨、そのほかのあらゆる光明を得た偉大なスピリチュアルな存在に匹敵します。

こうした前置をしておいて、私がシェアしたかったテーマに戻りましょう... 

つまり、電磁気とメディスン・ブッダの秘密へと、Oshoが私を誘ってくれたことについて... 

あなたは、いつでも思い返すことができ、そのイメージや記憶があなたを生の至福、感謝、または畏敬へと連れていってくれる、そんな瞬間または状況を生きるという体験をしたことがありますか? あるいは不思議さとともに微笑んでしまうような瞬間。

私の人生においてこうした体験のひとつ(数回あったうちの)が、ラオ・ツーガーデンにあるOshoのダイニング・バルコニーに彼といた時のことです。彼のバルコニーは、彼と私との間で起こったすべてのタッチの瞑想が起こった場所です。そこは魔法がかかったような場所で、私はそこを訪れるのがほんとうに大好きでした。そしていっとき、そこは私にとって我が家のような場所でした。

Oshoのリビングスペースに歩いて行くと、空気全体が変わります。私の呼吸はより意識的になり、現在の瞬間にいることが普段よりも簡単に感じられます。自分のハートに繋がり、センタリングして観照していることがとても簡単に感じられるのです。これがOshoの肉体的臨在のなかにいることの、正真正銘の「副作用」でした。これについてはこのストーリーの後のほうで語ることにしますね... 

私がいつも思い出せる瞬間というのは、Oshoとともにいた時のことです。彼は、頭と背骨がとてもくつろいでバランスの取れた姿勢でいられるように五つの枕に支えられながら横向きに寝ていました。私は二つの電磁波ライトを手に持ち、一つを仙骨・骨盤底にむけて頭頂にかざしました。そしてもう一方のライトは、頭のほうに向けて骨盤・仙骨の下方にもっていきます。E-M波長は特定の周波数に設定されています。それは、身体の中線—頭蓋仙骨部、脳、背骨——をとても癒してくれる周波数です。タイマーは10分間に設定してありました。そして私たちは二人とも目を閉じて「内に入る」のです。

なんて神秘的なスペース、時間でしょう! 私は酔っ払ったようになり、そして同時にとてもその瞬間にいました。Oshoもまたそれを非常に気に入ったようでした。私は、電磁気という非物質的エネルギーについて彼と共に瞑想したのです。その後Oshoはこんなことを言いました。

すべての生命はエネルギーだ... パタンジャリや古の覚者たちはこの現象を「三つのグナ(Guna)」と呼んだ... 外へ出るエネルギー、内に入るエネルギー、そしてその間のエネルギーだ。」さらに「これらの機械はこのエネルギーをうまく利用して、それをヒーリングのために利用している... 

(私に向かって)君が生きている間に、この分野において数多くの発展があることだろう... いつの日か私たちは、中に入れば調和が乱れたすべてのエネルギー・バランスを取り戻せるようなチューブのようなものを手にすることになるだろう。

アルーン・メディスン・ブッダ・アカデミー( ARUN Medicine Buddha Academy = AMBA)は、この発展に捧げられているのです! 

Oshoそして光明を得た存在に、グラシアス! 


アヌブッダの写真