2012/06/07

あるがままのこの瞬間にいて、信頼する

アヌブッダの写真by Anubuddha

——自分が正しい道の上にいるか、どうしたら信頼することができますか?

アヌヌッダ:
それは、ほとんどの探求者が必ず1度は直面する課題だと思います。私たちは、スピリットの成長と理解を深めたいと思っていますが、実際は、自分は正しくないと感じ、自分自身を疑い、その結果、自分を助けてくれる他の誰かを探して、内心ほっとするわけです。

しかし、それは少しユーモラスです。というのも唯一リラックスする方法は、自分自身を信頼することだからです。

深く、自分自身のフィーリングを信頼するとき、ボディ、マインドと、ハートがリラックスします。しかし、誰か他の人が自分に答えをくれるのではないかと、誰もが自分の外側を見ています。幼少期から私たちは、自分を信頼するようには勇気づけられてはいません。

自分にとって何が正しいのかを他人に聞かなくてはならないのです。何年もスピリチュアルな道を歩んで人でさえ、何を食べるべきか、どんなエクササイズが良いか、自分にあった瞑想法は何なのか聞いたりします。教育システム全体によって、内なる英知を放棄してしまうようプログラムされてしまったと言えます。

自分を愛するだけで十分


リラクセーションは、唯一個々の人の英知とともにあることから起こるというのに、ほとんどのアプローチはそれをあなたに与えようとしません。これは、とても複雑な課題といえますが、それぞれのテクニックがビジネスになっているからです。

もし、私があなたに、ただ自分を愛するだけで十分ですと言ったら、あなたは私を必要としなくなる。あなたが私の言うことを聞けば聞くほど、私のビジネスはうまくいくわけです。雑誌を読んで、ある記事はこれをしたら良いと言い、別の人はあれがよいと言う。しばらくの間は、それを試してみる。ほとんど子どものように。子どもは新しいおもちゃをそれがどうしても必要なものだと言って手にいれ、最初の三時間ぐらいはすごく興奮するけれども、二、三日するとそのおもちゃにあきてしまう。

多くの人が、身体は大人になってビジネスの世界ではとても重要な仕事をしていたとしても、受けてきた教育のために、内なる自己の世界ではとても未熟な子どものままにとどまっています。そして、内側に疑いをつくり出すことを誰でも、簡単に、あなたに言うことができます。そして、どこが悪いのか、何をしたらいいのかを誰かに言ってもらいたいのです。

それぞれの人が答えを内側にもっている


最初は、私もすべてのテクニックに、結局いつかは退屈してしまうことになるということがわかりませんでした。あるテクニックが私の問題を解決してくれるに違いないと思っていました。しかし、もはや私が答えを知っているといって、人々が依存するようなことはしたくありません。それぞれの人が答えを内側にもっているし、私にとって正しいことが、必ずしも、あなたに正しいとは言えないからです。言えることは、あなたが、ボディ、マインド、感情、スピリットの統合体であることを自分で認識し、自分自身を知り、観ることであれば、どんなことでも助けになりうるということです。

あなたの外側の誰も、最高のボディワーカーでさえ、しばらくの間、楽しませてくれることはあっても、あなたをリラックスさせることはありません。ほとんどのニューエイジの世界は、ひとつのエンターティメントだと思います。さまざまな異なるセッションを受け、しばらくは興奮するけれど、まもなく興味がなくなり、内なる緊張は観られることのないまま、別のものを探す。

ある意味では、多くの人は、内側を深く観るのを避けるためにセッションを受けているとも言えます。それより誰かに自分を見てもらって、何を言って欲しい。椎間板がずれているとか、女性性の問題だとか、自分のパワーを恐れているとか、あらゆるナンセンスを言うと、人々は喜んで大金を支払う。それが、今起きていることです。

ありのままに自分を受け入れる時 気持ちが良いと感じる


この記事を読んでいる人の中にも、あるセッションで本当に感動し、とても深い経験をしたことがあるという人がいるでしょう。どうしてセッションでハッピーを感じたのか、なぜその瞑想はそれほど平安であったのか、自分の内側を深く観る必要があります。気持ちが良いと感じる瞬間はありのままに自分を受け入れる時であり、何かを変えようとせず、ただエネルギーを感じ、感覚に触れて、内なるスペースと共にある時、リラクゼーションはそこにあります。瞑想においては、物事がどうあるべきかを期待することなく、何が起こっていてもあるがままのこの瞬間にいて、信頼することを学びます。自分を向上させることは役に立ちません。外側の世界では、役に立ちます。タイプを習っていたら、上達することは可能です。

私たちは絶えずより良くなろうと訓練されているので、内側の世界でも同じ努力が必要だと思ってしまいます。内なる世界は「誰よりも良くなろう」というような競争であるべきではありません。もし、競争心で内側の世界をみてしまったら、初めの一歩から誤った道の上にいます。その後、何をしても助けにはなりません。

アヌブッダの写真

タッチの動作に禅の精神を与える


ボディワークを考えてみた時、たくさんの美しいこともあるけれど、そこにいくつかの毒もあると感じます。タッチは滋養となり、愛をもたらし、身体をより気持ち良くさせることは、みんな知っていることです。しかし、私の興味は、たとえば、タッチの動作に日本人が茶道で行うような、あるいは華道が持つのと同じ調和の質、禅の精神を与えることはできないだろうかということです。唯一の可能性は、いかに期待なしに触れることが出来るかです。期待なしに触れることができたら、タッチはあなたをこの瞬間につれてくることができます。

呼吸を観ることもそうです。過去の呼吸も未来の呼吸も観ることはできません。瞬間から瞬間に起こる活動です。そして、あなたの思考やフィーリングのすべての変化を反映します。タッチもまた、瞬間瞬間に起こります。自分を信頼することを許し続けていくことができるなら、身体の中にある英知がどのようにタッチするのか、どこに、どれだけ深く触れるべきかを知っているのです。

でも、いくも誰かが正しい触れ方は何なのかを自分に言ってくれるのを待って、外側をみつめているので、私たちは決して内なる英知をエクササイズすることがないままです。この知恵はまだ活性化されないまま、ボタンが押されていません。そして、そのボタンは内側からしか押すことができないのです。私が他の人にできることがあるとすれば、信頼がもっと容易に起こるスペースをゆるすことで、否定的な条件付けをいくらか取り除くことでできるだけです。

とても幸運なことに、私の人生において和尚と個人的な時間をたくさん持つことができました。彼は有り余る知恵と愛、経験の深みを持っている人ですが、その人でさえ、それを私に与えることはできません。内なる知恵はお金のようなものではないし、プレゼントのように、あなたにあげることはできません。せいぜい、あなたの内側にそれがあることを知らせ、それを見ることを信頼させることだけです。私はあなたに代わって観ることはできまないし、和尚は私に代わって観てはくれません。

最初はたぶん私も、彼が魔法の鍵を与えてくれるのではないかと望んでいたかもしれません。しかし、魔法の鍵はありません。自分自身を信頼しない限りは。あなたこそがあなたの人生の中で最も重要な人なのです。あなたの内なる世界においてあなた以上に重要な人はいません。唯一、本当に花が成長するのを助けるのは、自己を信頼すること、そして、内側にいる時間をもつことです。

瞑想——ゴールがないものと、タッチをひとつにする


——コンシャスタッチで、あなたが試みようとしていることは何ですか?

アヌブッダ:
コンシャスタッチでは、これは正しい、これは間違っているとか、最初にこれをして、次にこれをするといった決まりを与えることはしないよう気をつけています。そうでないと、また内なる英知をエクササイズしないことになっていまいますから。たくさんの異なる方法を見せて、たくさんのアイディアを与えて、いろいろな内側を観るやり方を提供することをします。

内側を観ようとする時、最初は、他人の言ったことに自分の経験を較べるかもしれません。しかし、それは助けになりません。たとえば、チャクラの考えでいえば、チャクラについて何も知らないほうがましかもしれません。内側を感じてみれば、自分で何かを経験するときがあるかもしれない。もし、私が弟三チャクラには、何かあると言ったなら、助けになりません。でも、もし、時間をかけて、そのあたりを本当に感じてみたならば、自分で、なたにとってそれが何なのかを発見するでしょう。もし、信頼し続けたなら、瞬間ごとに、内なる新しい発見があるでしょう。

内側に入るとき興奮を求めてしまったなら、誤った道に入ってしまいます。時には、それは、何も起こらないことでもあるからです。ほとんど退屈だと言えるかも知れません。でも、それを良くないことだと言うなら、何かを見逃すことになります。そして、もっと興奮を望むのです。多くのボディワーカーたちはこの思考の犠牲者です。彼ら自身も興奮を求めるので、他人もそうだと思い、あなたのボディやマインドを興奮させるためにできる限りのあらゆることをし、興奮に満ちたセッションは良いセッションであり、あまりそうでないと良くないセッションだと思ってしまう。そうするとクライアンは欲求不満に感じ、何かお金を無駄にしたような気がして、セッションをした人も正しく出来なかったと感じてしまう。それでは、基本的なポイントを逃してしまいます。

すべての神秘家、あらゆる禅マスターが知っていること『生とはただあるがまま』。良くも、悪くもなくこうしたら良い、ああしたら悪いというというものではないということ。この微妙なポイントを指摘することが途方も無い喜びとなります。ですから、瞑想の経験がある人々とワークし、シェアしたいのです。なぜなら、彼らはそういった欲求不満を感じてきているので、理解することができます。彼らは、新しいテクニックにワクワクし、子ども時代のおもちゃのようにそのうち退屈し、そして、また探し始めることをしてきました。

アヌブッダの手の写真

一度和尚にセッションを与えることについて訪ねたことがあります。彼の答えはこうでした。『それが良いセッションなら良いし、悪いのであれば、すばらしい』彼は相手を喜ばせようというマインドの罠に落ちてしまわないように言い続けます。『あなた自身のボディへの愛を分かち合いなさい。気づきを分かち合いなさい。何かが起こればすばらしい。何も起こらなくてもOKだ』

たとえば、クンダリーニ瞑想をしていて、ある日素晴らしい経験をします。すると瞑想する度に素晴らしい経験ができると思ってしまう。と、すでに誤ったアイデアをもって瞑想することになるのです。どうあるべきかということを通して経験しようとするので、この瞬間を経験しようとするので、この瞬間を経験するチャンスがありません。それでは、私たちの内なる英知を鍛えることになりません。

瞑想——ゴールのないものと、タッチをひとつにするのはワクワクし、挑戦に満ちたものです。私は1994年から、日本で多くの人々がこの内なる英知と信頼することから恩恵を得ているのをみてきました。そして、他人に対して、自分にとって何が本当に正しいのかと尋ねない勇気をもつことです。自分自身の内側に聞き答えがきた時、それに応答していく勇気をもつことです。ですから、私たちがやっていることは自分を信頼するという途方も無い喜びなのです。自分を信頼すればするほど、私が人々と分かち合い、人々が私と分かち合うとき、私がちゃんとやっていないとか、もっとこうしたほうがいいとか、罪悪感を感じることなくお互いに広がっていくことができます。

お互いに分かち合い、そして、自分自身でいる


和尚コンシャスタッチの禅の道では、一方ではタッチを通して、内なる解剖学やリラクセーションや愛を通して本当にお互いに助け合い、分かち合い、もう一方では私たちは一人であること、内なる英知を信頼することを教えます。それは鳥の両翼のようなものです。お互い分かち合い、そして、自分自身でいる。それをまるで呼吸のように許していくこと、内側に入り、自分自身を感じ、そこから他の人と分かち合う。私たちはテクニックも理論にも興味をもちません。哲学でもありません。大地に根づいた人間のエネルギーへの愛です。これが日本で私が分かち合い続けていきたいことです。

トレーニングについて


アルーンでは、身体を新鮮な活力に満ちて生きるための方法やマインド・脳をよりクリエイティブにポジティブに活用する方法、そして、人生のあらゆる場面で瞬間ごとに自然なフィーリングのままに、繊細に対応していくことを学びます。アルーンベーシックとアドバンストレーニングでは、コンシャスタッチや瞑想を通して、自分自身のエネルギーを変容するための多次元的な鍵を提供します。また同時に他の人々に創造的に働きかけ、分かち合うための技法も教えます。

唯一あなただけが、あなた自身のからだの責任を取ることができるのです。責任という英語の言葉「responsibility」の本来の意味は「respond(瞬間ごとに応答する)ability(能力)」です。からだがあなたに語りかける声を聞く必要があります。

アナーシャ曰く「生命があなたの扉をノックするのにまかせるように」。生命の脈うつ鼓動を受け取るために、あなたの感覚(知覚の扉)をクリーンにオープンにすることを学ぶように。ものごとをシンプルなまま、深く見ていくなら、そして、自然に起こる生命エネルギー(緊張、恐怖や痛みも含む)を恐れないなら、アルーンコンシャスタッチは、健康、愛、そして瞑想のエッセンスを分かち合う道になります。

アルーントレーニングでは、「今ここにいる」質を深めていくことに強調点がおかれます。それは(良い悪いも)すべてを、あるがまま受け容れ、判断、分析、比較や期待なくオープンな静かなハートでこの瞬間にいることです。今ここにいる、この瞬間、真正な生命が私たちの中を通って流れ、その神秘が明らかにされます。

このトレーニングは、自分のからだや人間のタッチに関するあなたの理解を根本的に変え、拡大することでしょう。同時に深く自己を学ぶプロセスであり、内面を清める浄化であり、完結した和尚瞑想キャンプの体験になります。アルーンは「相互に関わる瞑想」と呼ぶこともできます。与え手と同様に受け手も「今ここにいること」が重要な本質的要素になり、このことが、様々なボディワーク・テクニックの中でも、アルーンをユニークなものにしていると言えるでしょう。