2012/05/31

ARUN 21 Days: Day 19「人間の眼と生命エネルギーへの気づきを目覚めさせるための歌」

Hello again Beloved Friends,

前回の「サイバースペースでのARUN Conscious Touching」シェアリングの後、自分の眼をもっと感じられるようになってきているでしょうか? 眼にチューニングをすればするほど、もっと見えるようになります…… (そしてこれはけっして冗談をいっているわけではありません!)

眼には無限の可能性があり、それは肯定的にも否定的にもおおきくなります…… 愛と光でいっぱいになることもできますが、より多くのばあい「真に見ること」を覆ってしまうような不信感、偏見、恐れ、欲望、無意識、そしてそのほか幾多もの否定的なフィルターでいっぱいです。

とてもパワフルで変容をもたらしてくれる「愛のある意識的な眼」とはどういうものなのでしょうか? はじめて女性(じつはその少女は14歳でした) が完全な愛で私を見たときのことをとてもはっきりと覚えています…… 私のなかの何かが瞬間的に溶けると同時に広がったのです。「溶けると同時に広がる」 なんて不可能な感じがしますね。しかしまさにそのような何かが起こったのです。私の内側の気づかなかったある恐れが溶けて、私のハートと愛を分ちあう力が 広がったのです…… 彼女の眼から私のなかへと入ってきたミステリアスなエネルギーによって。それはわずか数秒のことでした。残念なことにその感覚は私か ら消えていってしまいましたが、なにか魔法のようなものの味わいでした。私たちの眼は、私たちが気づいているか否かにかかわらず、絶えず「話しかけ」 「タッチ」しています。私たちの眼をとおってきた気づきのなさや緊張は、私たちの眼がリラックスして恐れがなく、その瞬間に開いているときに目にできるも のとはまったく違った「世界観」やエネルギーをつくりだします。

私たちは眼からあらゆる緊張や恐れ、偏見を奇麗にぬぐい去らなければなりません! そして、あなたの眼はあなたしか奇麗にできないのです! 

ほとんどの人は自分の眼にあまり気づいていません。というのも、眼の内側や周囲にはあまりに多くの恐れや怒りが埋もれているからです。そしてマイン ドのなかの緊張、怒り、恐れが私たちの眼のなかの緊張としっかりとくっついてしまっています。肉体的には、それは眼そのものの組織や筋膜、それぞれの眼を 動かしている七つのデリケートな筋肉、眼をおさめている蝶形骨やその他の骨、眼を「大脳辺縁系」へとつなげている「視神経」、そして私たちの脳の後頭葉の なかにあります。精神的には、それは私たちの心配ばかりしているマインド、比較ばかりしているマインド、計算ばかりしているマインドのなかにあります。感 情的には、私たちは小さな子供のころから数多くのひどいものごとを「見て」きました。そのため私たちの眼には絶え間ない心理的な恐れがあるのです。私たち が自分たちの「エネルギー体」を考えたとき、そこにはあまりに多くの歪みやコンプレックスがあり、私たちの眼をとおるエネルギーの流れを邪魔しています。 それぞれのチャクラあるいは分泌腺は、私たちの眼と脳の奥深くにある私たちの視覚センターにつねに再接続する必要があります。

いつでも時間のあるときに次のようなことを試してみてください:内側にあるそれぞれのチャクラを積極的に自分の眼につなげてみるのです。例えば、自 分の眼に隠されているセックス・チャクラにまつわる恐れをなにか感じてみましょう。そしてその恐れを手放して、そのチャクラからビジョンセンターへ「愛と 気づき」のエネルギーを導きます。さらに同じことをすべてのチャクラにやってみましょう…… ハラ、太陽神経叢チャクラ、特にハートチャクラ、喉のチャク ラ、第三の眼のセンター、クラウンチャクラ…… すべてがあなたの眼の見ることを許すこと、または見ることを妨げることに大きく影響する可能性があるので す。

また、あなたが歩いているとき、または首、手、指を動かしているとき、あなたの眼のまわりに今必要のない、なにか隠された恐れや緊張がないか見てみ ましょう。もしなにかあるのなら、そうした恐れなく歩いたり、首や手、指を動かせるようになっていきましょう。聞くほど簡単なことではありません。眼にま つわる神経・筋肉・骨格システムは必要ない緊張によって結びつけられていて、そうした緊張に慣れてしまって馴染みのものになってしまっています。たとえそ れが本当の意味での敏感さや肯定的な流れを妨げ、頭や肉体に痛みを引き起こしてさえいたとしても。ですから皆さんは「リラックスした眼」とともにどう行動 したら良いのかを「学び直す」必要があるのです。今は、自分の眼のなかにある緊張や恐れを手放しすことは簡単ではないでしょう。気づきや意識的な呼吸とと もに練習する必要があります。緊張を開放するには「その緊張を感じる」ことが必要なのです。恐れや緊張を感じることを恐れないでください…… それに直面 したら忍耐強くいましょう。そうすれば、あなたの愛と気づきでそれが変容されることでしょう。

1979年、1980〜81年を振り返って、Oshoはアシュラムで私たちに「エネルギー・ダルシャン」と呼ばれる素晴らしい実験をしました。それ はあまりに過激なもので、もう誰ひとりとして話題にすることがなくなってしまったほどです。サニアシン達のあいだでさえも。Oshoとの私のはじめての 「エネルギー・ダルシャン」は私の記憶と私の細胞に埋め込まれています。二人の女性が私の両腕をつかんで広げ、もう一人の女性が私の後ろに座って私のハー トに手をまわします。音楽がガンガンと鳴っています…… Oshoが私の眼を覗きこみました。そして彼は私に眼を閉じるように言い、とても力強よく第三の 眼のあたりを触れました。少しすると彼はそれを止め、私は眼を開けてOshoをみました。私が眼にしたのはOshoではなく、私の眼は肉体的な眼ではあり ませんでした…… エネルギーと愛だけがそこにあったのです…… 私は自分の外にあるものをみているのではなく、私は目にしているものと一体になっていました。

それは純粋で自然なサイケデリックな体験でした! 

私は何日にもわたって相当にハイな状態で、新鮮な眼で世界をみていました。しかしこうした新しい 開放とともに、私はどれほどの緊張や恐れが自分の眼のなかに蓄積されていたのかにも気づいたのです…… そしてそれは私にとってとても心かき乱すものでし た。私は瞑想し、理解または解き明かそうとしました。「Oshoが自分の眼でしている(あるいはしていない)ことで他のみんなとはおおきく違うのはなんだ ろう? 彼の眼を覗きこんだり、彼の眼によって触れられることが、なぜ私をふくめてそれほどまで多くの人々に大きな変容を与えうるのだろう?」と。彼の眼 のまわりはとてもリラックスしています。そして彼の眼差しはあまりにソフトでありながらパワフルです。そこには判断がいっさいなく、評価もいっさいありま せん…… そして光と愛と敏感さが明らかに感じ取れるのです。そのとき私はOshoのアシュラムで一日四回のリバランシング・セッションをしていました。 そこで私はやってくる人たちの眼を「観察」すると同時に、「自分の眼を観照」しました。私はこの「観察」をこの現在にいたるまで続けています。私が気づい たのは、ほとんどすべての人(私もふくめて)が眼に必要のない緊張をおおく抱えているということです。そしてこの緊張は前頭部や首、とくに後頭部のエリア、さらには顎、胸、横隔膜、腹部、骨盤、背骨、脚につながっています。眼のなかの緊張や恐れはエネルギーフィールド全体の緊張のミニチュア版なのです。

こうした眼のなかに埋もれた緊張や恐れから自由になる唯一の方法は「仏陀眼」を育むことです。それはマインド、つまり理論を超え、私たちがこれまで 受けてきた教育を超えたものです。私たちは「判断する」ようにトレーニングされてきました。批判し、分析し、比較し、そして目にするものすべてをつねに 「良いか悪いか」評価するように…… ブッダやOsho、あるいはそのほかの光明を得た神秘家たちが瞑想について語るのを耳にするとき、私たちは彼らのこ とを理解していると思っています。しかし私たちの理解はとても表面的です。ブッダやOshoが語ることや、彼らが私たちに与える感覚はとても魅力的です。 ですから私たちは同意したいと思います。しかし私たちのマインドはとてもしっかりとプログラミングされているのです。そして私たちの眼とマインドはしっか りとくっついています。私たちは緊張状態にあるように完全にトレーニングされているのです! 

しかしあなたのスピリッチャルな存在はけっして緊張しません。プログラミングされているのは、私たちの振る舞いと行為だけです。観照すること愛とを ベースにした正しい教育手法で、私たちは「仏陀骨」や「仏陀眼」を育てることがでます。私たちは自分自身を信頼するようになれますし、瞑想をとおして私た ちのもっとも深いセンターや私たちのエッセンスとつながることもできるようになります。私たちが真に自分自身につながるとき、私たちは「自分自身を人とく らべる」こと、または「人を判断する」こと、人と競うことの必要性をうしないます。そしてあなたがこの可能性にひらいたとき、あなたもまたこうした判断す ること、比較すること、批判すること、分析することなどといったエネルギーがいかに他の人だけでなく、じつはあなたをも傷つけているかということに気づき はじめるはずです。そうすると、これまで私たちがARUNで幾度も語ってきた可能性がおこります。その可能性とは、私たちは人をゆるし自分自身をゆるすこ とができること、そしてそれが内側から外側へと分泌腺システムを開放するポジティブな感情、つまり「メッタ(愛のこもった優しさ)」、慈悲、友好的な気持 ち、明るさへと私たちを導いてくれることです。もう比較したり、期待したり、自分自身のエネルギーを恐れる必要はないのです…… あなたは「自分自身でい ること」に信頼すればいいのです。瞬間瞬間において。

Oshoやブッダが「ただしくみること」と呼んだことを練習してください…… 自分の眼を感じ、起きているあいだに眼が人や動物、植物、木々、食 物、さまざまな物体が触れるのを楽しんでください。愛とともに見て、「中立的な視線」を学び、あなたの眼があなたのすべてのセンターとつながることを許 し、あなた自身の「仏陀眼」が開くのを許しましょう。そしてまた「眼を閉じる」ことやあなたの内側を見ることを楽しんでください。あなたが許せば許すほ ど、より見ることができるようになります…… それは行為ではなく、現在にいて敏感でいて油断なくいるという状態です…… 恐怖や期待なく。

あなたの進む道にたくさんの微笑みと良いバイブレーションを送ります…… 

with love, Anubuddha

(これが私の歌の最初の部分で、これは以前に送りました。ここには参考になるように収めました。また機会を改めてすこし付け加えることになると思います。)