day20: 大きな慈悲のなかで
こんにちは、ラサタです。
あと、2日でこの21日間のプログラムも終わりますが、
愛に花開いていくこと、それは人生を通してずっと続いていきます。
その道のりでは、ポジティブな美しいことだけでなく、
自分が見たくないもの、自分の中に認めたくない部分に
気づかされることも、きっとあるでしょう。
ハートそのものは、純粋でクリーンな愛のスペースですが、
それが育っていくときに、その上を覆っていた積もり積もった
感情や思考が意識の中に映し出されることがあります。
もし内側に怒りやイライラや悲しみを感じることがあったら、
感じちゃいけない、なんて感情を押し込めないでください。
どんな感情も感じることができるって、
それだけで祝福されているのです。
感情は、自分自身について色々なことを教えてくれますから。
自分にノーを言っているとき、自分のことを大事にしていなかった時、
何かがおかしいよって言ってくれているのです。
どんなに人に対して愛に満ちた行動をしても、
自分を愛していないとき、無理をしたり、
自分の欲求をちゃんと満たしていないときは、
怒りが溜まってくるものです。
怒りは、自分を愛するために立ち上がる
パワーを与えてくれます。
そんな時の怒りは、生きたエネルギーにほとばしる美しいものです。
悲しいときは、泣きたいだけ泣いて、
涙がハートを洗い流すのにまかせたらいいです。
感じることができれば、自分の感情の責任を
自分でとることができます。
人間のタッチって不思議で、本当に愛なのです。
ジャッジのない、あるがままを見守るタッチは慈悲そのもの。
そんなタッチを受けていると、気づいていなかった
内側にある色々な感情を感じ始めることが多いです。
なので、長期のアルーンのコースでは、
必ず毎朝ダイナミック瞑想やジベリッシュ瞑想などで感情を
解放します。
全身で放出する叫びの中で、
押さえていた感情が生き生きと蘇り、
震えんばかりのパワーと自由を手にすることができるのです。
抱えていた重荷が降ろされると、
そこから自然と観照するスペースが生まれてきます。
だからどんな感情にも、あなたの慈悲を与えてください。
慈悲とは、それがそこにあるのを許すこと、
在るがままにスペースを与え見守る大きなエネルギーです。
感情をあるがままに感じること。
人にぶつけることなく、アクティブ瞑想などの中で表現し解放していくこと。
感情は自分の中の反応ですから、
人に無意識にぶつけると不必要な負の連鎖を作り出します。
また同時に、どんな感情も、お天気のように、来ては去っていくもの、
しがみついていると、それに振り回されることになります。
誰かかに傷つけられたとき、誰かの行動が許せない時、
感情に囚われて相手を責めても、いくら恨んでも、解放されるどころか、
どんどん腹が立ってくるものです。
先日、セッションに怒りでいっぱいの人が来ました。
仕事の同僚がしたことが、何やら許せなくて怒っているのです。
こんなことありえない、人間としてあるまじきことだ、
と激怒と悔しさが収まりません。
タッチでゆっくりと時間をかけて身体の感覚や呼吸とつながっていくと、
彼女も次第に落ち着いて、内側で起こっている感情や思考を
見始めることができました。
観ることができる時、もはや私たちはそれではなくなります。
来ては去るのを許していくことができるのです。
そして深いサイレンスへと落ちていきました。
タッチが終わり戻ってきたときには、彼女から怒りは消え去り、
慈愛に満ちた別人になっていました。
こうあるべきという概念や自分が正しいという強い信念を
わきによけ続け、自分の中の認めていない側面や傷つきやすさ、
内側の痛みを感じることを許して、ハートと観照のスペースに
開いていったようです。
過去に傷つけられた出来事も、恨みや憤りも、
自分が誰かを傷つけたかもしれない後悔も、
まだどこかに残っているわだかまりも、
あの人はあういう人だ、これはこうだ、とずっと持ち運んでいる
古い感情や固定観念も、
大きな大きな宇宙の慈悲の中で、
一瞬のうちに、許し、許され、手放していけるのです。
全ては私たちの気づきしだい。
これからも、あなたが愛の中に花開いていくことを祈っています。
そして、そのユニークな香りを分かち合いに
ぜひアルーンのコースにも来てください!!
もうすぐ私も日本です。 会える日を心待ちにしています。
信頼と感謝と共に、
愛を込めて、ラサタ