2013/03/26

ユニバーサル・ハーモニー〜アルーンコンシャスタッチ2013 #12

Osho、光明を得てくださって、ほんとうにありがとうございます!


Beloved Friend,

私にとって相当ミステリアスです……. 私が至福に感じているだけでなく…… 今日は春の初日で、自然においては再生と喜びの時です…… そして、今日はまたOshoのエンライトメントデイでもあります…… インドのMaulshreeツリーのもとでの至福に満ちた瞬間。1953年Oshoは存在へと消えたのです。

ということで、今年はこのモダンな今日における禅マスターのエンライトメントから60年目のサイクルなのです。人類の潜在能力、心理、瞑想、ヒーリング、アート、音楽、意識的なセックス、そして創造性というフィールドにおいて、Oshoは前世紀のもっとも深遠で光に満ちた存在です。Oshoのこの時代への影響と貢献は、あらゆる場所に浸透しています。世界の大都市から小都市にいたるまで、たくさんの人が人々(文字どおり何千何万人)と、Oshoの手法、アクティブ瞑想、そして自然な生き方への洞察をもちいてワークしています。これもまた世界中で、Oshoのサニアシン(弟子たち)が「ニューエージ」音楽の流れに深くかかわっています。事実、最高のミュージシャンのなかには、瞑想しOshoのテクニックを使っている人もいます。

Oshoが光明を得た後の1960年代と70年代初頭、 Oshoはインド全土で何千人もの人たちを対象に「ダイナミック瞑想キャンプ」をおこなっていました。彼の教えは、「内側」へ入っていくために、そして自分のうちなる平和と静寂とふたたびつながるために 、今は肉体的、精神的、感情的緊張にがんじがらめになっている自分の身体を「扉として」どう利用するのか、ということでした。そして今でもそうです。この「内側へ入る」ことで、心配や必要のない緊張を抱えることなく、あなたは人生を最大限に生きられるのです。

Oshoの基本的なメッセージは「愛」です。身体への愛、自分自身への愛、他の人、動物たち、自然への愛。存在が私たちに示しているすべてにたいする愛と敬意。Oshoは、ガウタマ・ブッダの理解を改めて強調しながら、私たちに体験するようにと教えています:「まさにこの身体、仏陀…… まさにこの場、ロータス・パラダイス」 当然これほどまでの愛と気づきとともに生きるには、まったく新しい種類の教育が必要です! 

1970年に行われたインド、マウント・アブでの瞑想キャンプでOshoは、より「意識的に生きること」への鍵を分かち合いました。彼は、自らに本来備わっている英知、すなわち「知」から生きることと、頭から生きることとの違いについて説明しています。彼が話していることを感じて、理解しようとしてください。それがあなたの人生の異なる領域に、どう応用できるのかを感じてください。(私は、それが自分の人生を変容させたことを知っています!)

講話するOshoの写真

「知る」とはつねに自発的だ。いっぽう、信じることはすべて過去の知識、記憶によっている。あなたが自分の記憶から借りてくるとき、あなたは知るという瞬間にいない。人は誰からも借りることがあってはならない。自分自身の過去からでさえも。人は、瞬間瞬間を生きなければならないし、あなたにやってくるすべてがあなたの知ることの一部になるように生きなければならない。

私があなたを見て、私の記憶が間にはさまっていないなら、私が見ることが知ることになり得る。もし私があなたを、二人が過去に出会ったときの記憶をとおして見ているとしたら、私はほんとうにはあなたを見ていない。しかし、もし私が過去の束縛なくあなたを見れば、その見ることは瞑想的になる。もし私が、自分の手が過去に知ったいかなる体験にも縛られずに、あなたにタッチしたら、そのタッチは瞑想的になる。なにごとも、無垢で自発的であれば、瞑想的になる。

私が強調したい三番目のポイントは、瞑想的なマインドは「瞬間瞬間」に生きるということだ。それは蓄積することがなく、つねに今にあり、やってくる一つ一つの瞬間に受容的だ。

Osho

私たちの自然の可能性を理解するための、この光明を得たアプローチは、言うまでもないことですが、私たちの子どもたちが教育システムで教えられていることではりません。むしろ、その逆です! 私たちの教育は、不幸なことに、基本的に「いかに緊張するか」を学ぶことからなっています。私たちは競争することをとおして教えます…… いかに批判するか、いかに分析するか、いかに使い道のない情報を蓄積するか、いかに自分自身を他の人と比較するか。簡単に言うと、いかに恐怖と心配のなかで生きるか、です。

あらかじめ予測した結論をもつことなく自らの身体・マインド・意識へと入っていく人は誰でも、たくさんの驚きに遭遇します。中立的な観照者として「内側を観照する」ことによって、「生きている」と私たちが呼ぶ体験全体が変容します。「中立的に内側を観照する」ために必要な条件は、言うほど簡単ではありません。あなた自身の教育が、瞬間瞬間の行いを「リラックスして、批判なく見る」というトレーニングをしてくれていないからです。

庭にたたずむOshoの写真

アルーン「生きた脳」エクササイズ:瞑想的に見る

私たちのビジョン(肉体的・比喩的に)は、自らの過去や偏見によって曇っています。私たちは、Oshoが示しているようには「見て」いません。さらに私たちの目は、自らのマインドによって直接的にフィルターされています。そこには、自分の目にまつわるたくさんの緊張、心配、不信があります。しかし、自分の目により意識的になり、瞑想的に「見る」ことを学ぶことができます。

一人になる10〜20分ほどの時間ができたら、ただ目を閉じて、海の近くでするように呼吸します。シンプルに、自分の呼吸システムをリラックスさせます。肺に一回ゆっくりと、たっぷりした呼吸を許します。それから、ハートのセンターへ一回。それから、肚(またはお腹)のセンターへ一回。それぞれ、息を意識的に吐き出し、筋肉がレット・ゴーして柔らかくなるようにします。自分の観照が内側にむき、注意深くいるようにしましょう。仙骨から首、そして頭への脊髄の中心に気づきます。そして、吸う息とともに背筋が「少しだけ」伸びるのを許します。

こんどは内側で、気づきが頭と脳の「後ろの部分」へと移るのを許します。そこには「リラクゼーション・センター」があります。時間をかけて、脳の後ろがあなたの関心の「中心点」となるのを許します。そこに呼びかけ、そこを感じ、そしてそのエネルギー、サイズ、そしてあなたの健やかさを常に支えてくれることに受容的になります。Good。

準備ができたら、気づきを目に移します。目が安らぎ、内側に寛ぐのを感じます。内側から目を感じます。優しく、手のひらをそれぞれの目の上に置き、タッチをとおして目にチューニングします。そして、目に話しかけます。自分が目とより深く繋がりたいと告げます。目を囲む小さな筋肉を説得します:

「リラックスして…… なにも怖がることはないから。ほら…… 私がケアするよ…… リラックスしていいんだよ。」

すると、あなたは驚くことでしょう! 自分の身体のどの部分でも、あなたが愛情を持って近づくだけで、それはあなたに耳を傾けます。あなたに従います。あなたの身体なのです! 

この内なる対話を三回許したら、少なくとも二分間にわたって目を「パーミング(手のひらを軽く目に当てること)」して、目が広がり緊張を手放すよう誘います。そうしたら、手を離して、数分間その効果をただ感じます…… こんどはエネルギー、あるいは光が左目のセンターから右目のセンターへ、さらに前頭部のてっぺんへと自由に流れるというアイデアと遊びはじめます(ポイントからポイントへと渦をまくエネルギーの直立した「三角形」を想像します)。目は、私たちのエネルギーフィールドのなかでも、もっとも深刻で恐怖に満ちた部分のひとつですが、これは深刻なエクササイズではありません! エクササイズは、一方向に12回ほど繰り返します。そして、焦点をあわせないまま気づきを保って休み、目がただリラックスして生き生きと「そこにある」のを感じます。一分ほど待って、こんどは別の「内なる解剖学の三角形」(人間のエネルギーフィールドにはたくさんあります)を形づくります。両目と脳の後ろをつなげます。あなたの意識を左目から右目、脳の後ろ、左目など、というように移動し、12回「三角形」を描きます。少し休み、こんどは逆方向に12回おこないます。

そしてリラックスしてお腹へと息を入れます。そして準備ができたら、ゆっくりと両目を開けて、フレッシュな視界を楽しみます。Oshoは言います:「もし私が過去の束縛なくあなたを見れば、その見ることは瞑想的になる」ゆっくりと、コツをつかんでいきます。すると、たくさんの高まりや広がりが起こることでしょう。

「ダンスする手」の瞑想

これは、あなたの手とタッチがより意識的になる助けとなる、もっとも美しく直接的な方法のひとつです。ときどき、目を閉じて座るか立つかして、手が「ほんとうにダンスする」ようにします! あらゆる自発的で創造的な動きをしてみましょう。動きのあらゆる可能性と、手をとおしたエネルギーの流れとともに遊びます…… 新しい液体のような…… ゆっくりと、あるいは速く。他のことはすべて忘れて、あなたの手が自由自在に動いているあいだ、その両手を愛と気づきで満たしましょう。「正しく」できているかを心配しないで。あなたの手がダンスしているのです! 流れるままでいて…… それぞれの手が好きなように動くようにします。意識的でいて、楽しみます。しばらく(10〜15分がベストです)したら、動きを止め、少なくとも五分間、動かないで、どこにも焦点をあてることなく内側を見ます。

このシンプルな瞑想が日々の活動すべてにもたらす、良い効果に驚くことでしょう! あなたは、より繊細に、より存在感をもってタッチすることになるでしょう。手と脳の大脳半球との間には「クロス・コネクション」があるため、マインドが「過負荷」になっていたり、緊張、心配しているとき、あるいは夜に眠れないときに、時にとても助けになります。またあなたのハートと繊細さを開きます。試してください! 

Oshoは言います:

もし私が、自分の手が過去に知ったいかなる体験にも縛られずに、あなたにタッチしたら、そのタッチは瞑想的になる。

私が強調したい三番目のポイントは、瞑想的なマインドは瞬間瞬間に生きるということだ。それは蓄積することがなく、つねに今にあり、やってくる一つ一つの瞬間に生きている。それは決して今ここから離れることがない。それは常に「今」にあり、やってくる一つ一つの瞬間に受容的だ。

これが「アルーンコンシャスタッチ」のエッセンスです。私たちは、これからの日々にわたって、たくさんのより実際的な「洞察」を分かち合っていく予定です! 

ということで、「Osho、光明を得てくださって、ほんとうにありがとうございます」 私が、25年前インドのバルコニーでマッサージをしつつOshoにこの言葉を言ったとき、彼は目を開け、私を見、微笑み、ふたたび目を閉じたのです。

ナマステ

翻訳元:Thank you Osho for Being Enlightened! by Anubuddha
(翻訳:サハジョ)