アルーンコンシャスタッチは、外側から見ると一つのボディワークに見えると思います。誰かにタッチをするというセッションをしていきます。
ワークショップやトレーニングでは、さまざまなタッチの仕方が紹介され、
それを誰かと一緒に、お互いに触れたり、触れられたりしながら体験していく。またオンラインのクラスでは、自分で自分に触れるという中でそれを体験します。
でも、ARUNはボディーワークではありません、と、
創始者Anubuddha & Anashaは言い切るんですね。
瞑想的なボディワーク、でもなくて、
ボディワークを通した瞑想。
タッチ媒介にして、瞑想を分かち合っていく道です。
それってどういうことでしょう?
今日はそのことについて書いてみます。
ARUNは必ずニュートラルタッチ、
友達のからだにただ手をのせていく、静かなタッチからスタートします。
でもそこから、
その時々さまざまですが、揺らしたり、ストレッチをしたり、深い圧を届けたり、かなり激しく動かしたり、ユニークで多彩なタッチがさまざまに繰り広げられていきます。
タッチを与える側にとってのARUNは、
Doing、行うこと、の中に入っていきながら、
自分自身にとどまる。そして瞬間、瞬間に起こっていることを感じ、そこに意識を向け続けている。行為を観ている存在、Beingにとどまる。そんな時間です。
こんな風に書くと大変そうに見えますが、
シンプルに、目の前の友達に関心を持って、そのあるがままをなんであれ見守っている。自分のことも観ている。
それはそのまま瞑想ですよね。
タッチを受け取る側にとってのARUNは、
からだのさまざまな部分に光があたり、どこまでもくつろいでいく至福の時間。受け取るタッチをサーチライトのようにして、自分自身に意識を向け続けていきます。深くリラックスをして、ただ観ている。それは瞑想を容易にしていきます。
タッチする人の意識と、受け取る人の意識が出会う時、そこには何かが起こっていきます。一期一会の出会い。存在が、世界がはたらきはじめる瞬間。どこまでも探求し続けたい、神秘の世界。
ARUNは瞑想を生活に広げていく道でもありますね。
瞑想を容易にしてくれるし、
また、さまざまなOSHO瞑想の経験はARUNを深めてくれます。
ARUNを通して瞑想していくというのは、とても着実で、安全で、パワフルで、魅惑的な旅の道のりだなぁと感じます。
今日、生活の中のどんな場面でもいいです。歯を磨く、歩く、食器を洗う、なんでも。それをしている時、うわの空で他のことを考えながらするのではなくて、その行為をしている自分に気づいている、というのを試してみませんか?さあそこには、どんな感覚がやってくるでしょう?
with Love
アディプリヤ