今日 3月21日は、Oshoが光明を得たお祝いの日。
この日に向けて早朝6時から一緒に瞑想を続けてきた皆さん、
ニューズレターを読んでくださった皆さん、どうもありがとうございました。
ここでの配信が、少しでも皆さんの日常生活の気づきにお役立て頂ければ嬉しいです。
今日は、お祝いについてのOshoの言葉をお届けしたいと思います。
Oshoは
「私は自分自身を喜び祝う―I celebrate myself」
という言葉をよく用いて、
私たちの生が祝祭であることを思い起こさせてくれます。
実際Oshoの周りでは、特別な日に限らず、世界中で歌い、踊り、笑い、喜び祝います。この祝祭の中でこそ、平和、愛、慈悲が生まれ、私たちの神聖なる本質と出会い、大いなる存在に共鳴するときなのです。
お祝いには、理由はいりません。良いことやおめでたいことが起こったときだけでなく、うまくいかないときも、望んでいないことが起こるとき、調子が悪い時、病気のときも、Oshoのもとでは、「死」さえも、内側にお祝いの光をもたらすことが可能だということを教えてくれます。
Oshoの言葉
『祝祭(セレブレーション)は私の生き方の基本だ--
あらゆる美しさを、あらゆる歓喜を、生が与えてくれる全てを嬉しく思うがいい。
なぜなら、この生全体が神の贈りものだからだ。
生はあなたの内と外にある--木々の中に、雲の中に、星々の中に。この存在全体が生のダンスだ。
生を愛しなさい。自分の生を余すところなく生きなさい。生を通して神性に酔いしれるがいい。私は生を途方もなく愛している。だからこそ、私は祝祭を教える。
あらゆることが祝われなければならない。
あらゆることが生きられなければならない、愛されなければならない。
私にとって、俗っぽいものはひとつもなく、神聖なものもひとつもない。すべてが神聖なのだ、梯子のもっとも低い段からもっとも高い段まで。それは同じ梯子だ。体から魂まで、肉体的なものからスピリチュアルなものまで、セックスからサマーディまで--すべてが神性だ! Osho
Osho, Come, Come, Yet Again Come, #2 より抜粋』
一瞬一瞬の気づきとともに、日常生活の大きなことも、小さなこともお祝いにしていきましょう。みなさんの道のりが祝祭に溢れ、新しい扉が開かれ続けていきますように。
4月にはカマラもラサタも来日し、各地でARUNコンシャスタッチ2Days、
ゴールデンウィークは妙高高原にて8日間リトリートが開催されます。
このニューズレターで21日間シェアされてきたARUNのエッセンスを、リアルの場で体験していく機会です。 私にとって、ARUNコンシャスタッチは生を祝祭にしていくアートそのものです。
みなさんとお会いできることを、カマラ、アディ、ラサタ共々、楽しみにお待ちしています。
Love, ラサタ