2018/03/16

意識的に生きる21日間 Day 16:触れている、触れられている

苔に触れる手の写真

===============
意識的に生きる21日間 Day16 触れている、触れられている
===============

おはようございます、アディプリヤです。
今日はアルーンのトレーニングでよく語られることのひとつ、
「触れている~同時に、触れられている」について書いてみます。

ただ静かに手をおく「ニュートラルタッチ」は、アルーンの大切なタッチ。
友だちのからだの上でバターが溶けていくかのように、
やわらかい手をなじませて耳を傾け、ただ、共にいます。

そんなとき、時折ラサタやカマラから届いてくる言葉があります。

「ではこんどは、友だちのカラダから ‘触れられている’ ことを感じてみましょう。
あなたの手は、友だちのカラダから、触れられています。」

そして、全く手は動かさず、意識だけを、
「触れている」という感覚から、「触れられている」という感覚にシフトします。

このシフトはとても興味深くて、
タッチの新しい感覚に私達を連れて行ってくれます。

感じることに、より意識が向くし、
「触れる」から「触れられる」に矢印が変わることで、
自分の内側にいま一度戻って、そこからタッチを分かち合う、そんな感覚になる。
瞑想のスペースを分かち合うことに近づくような、そんな感じです。

そして、タッチを受けている時、触れてくれている人のこうした意識の変化は、
驚くほどありありと感じられるのです。
そんなタッチは例えば、私たちのさらに奥深くに気づきが向かうのを助けてくれたりします。

アルーンの中には、こうした具体的、実際的な工夫や智慧がたくさんあります。
知ってしまえば何でもないこと。でも忘れがちなこと。
それを繰り返し体験して根付かせていくのです。

これは、自分ひとりでも、いつでも、感じることができます。

今あなたは立っていますか?それとも座っている?
立っている人は、足が床や地面にタッチしていますね。
座っている人は、坐骨がどこかにタッチしているでしょう。

そのタッチをしばらく感じてみます。

こんどは、意識の向きを変えて、
足や坐骨が、床や地面、椅子やクッションから「触れられている」ことに気づいてみます。
それは実際、そうなのです。
触覚というのはいつも、触れていると同時に触れられている、ユニークな感覚です。

どんな感じがしますか?
前と少しでも違いを感じますか?
どんなことでも、小さな違いに気づいてみます。

これは色々に広げていけます。
洋服や下着が、肌に触れているのに、気がついてみます。
胸のあたり、お腹のあたり。
風が、空気が、光が、頬に触れるのを、感じます。
吸う息が、カラダの内側のかべにタッチすることに、ふわっと注意を向けてみます。
あなたが手を伸ばす何かが、あなたの手に触れています。
カップを手にとるとき、ドアを開ける時、誰かの手をとる時。

「生活の全てはタッチ」これも、アルーンでよく聞く言葉です。

どんな感じがしますか?

わたしは何だか、いろんなものに包まれているような、支えられているような、
そんな、あたたかで静かな寛ぎを感じています。
アルーンのなかで、よく出会う感覚です。

今日は、あなたが何かに「触れる」とき、「触れられている」ことに意識を向けてみませんか。