セッションを与えることについて、アヌブッダがOshoに尋ねたことがあるそうです。
その時の彼の答えは、
「それが良いセッションなら良いし、悪いのであれば、素晴らしい」
これを初めて読んだ時、はっとしたことを覚えています。
とても印象に残り、時折、思い出すのです。
それで、皆さんにもお伝えしたくなりました。
「あなた自身のボディへの愛を分かち合いなさい。
気づきを分かち合いなさい。
何かが起これば素晴らしい、何も起こらなくてもOKだ。」
相手を喜ばせようというマインドの罠に落ちてしまわないように、という助言。
セッションに限らず、私たちは何かをする時、これまでの経験から、こうなるのではないかと予測をしたり、こうあって欲しいと期待をしたり、頭の中に“わたしのストーリー“を自動的に描きがちではないでしょうか。
ジャッジすることなく、起こることをただ体験するというのは、瞑想そのものです。
私にとってARUNはそれを、セッションを通して練習していく場でもあります。
また、
「内側を観るとき、興奮を求めてしまったなら、誤った道に入ってしまう」
とアヌブッダは言います。
時には何も起こらないこともある。
でもそれを良くないと言ってしまうと、何かを見逃すことになる。
「生とはただあるがまま」
良くも悪くもなく、こうしたら良い、ああしたら悪いというものではないということ。
生とは、解決すべき問題ではなく、生きるべき神秘。
「期待」というフィルターを通してしまうと、その瞬間、ほんとうに起こっていることを受け取ること、生きることをミスしてしまう、ということですね。
「一切の期待なく、ただ起こることを体験する」
今日はそのことに意識を向けてみませんか?
愛をこめて アディプリヤ