私たちはどうしても外側に目が向きがちです。
誰かにタッチをしている時も、
友達のからだはどうなっているか?どんなタッチを届けよう?
相手はどう感じているか?相手を感じたい、と意識の大半が相手に向かってしまう。
アルーンに参加し始めた最初の頃は、
そのことの何がいけないのかも実はよく分かっていませんでした。
ある時、クラニオのデモンストレーションをしながらラサタが言いました。
ちゃんと自分自身にとどまっていないと、本当に感じることはできないんです。
家にいないことには、お客さんを迎え入れることはできないでしょ。
「家にいないことには、迎えられない」なるほど~。たしかに。
この言葉は妙にストンと入ってきました。
クラニオやブレスなど、繊細な感覚を扱うセッションでは、
こうした在り方が特に大事になってきます。
そしてこの「ちゃんと家にいる」「自分自身にとどまる」というのは、
とても具体的、実際的なことからスタートします。
前のめりにならず、自分の体重をしっかりと自分で支えていること、
自分の呼吸に気づいていること、
足裏をしっかり床につけて、その感覚に気づいていること。
自分のハートや腹を感じていること。
相手を感覚する前に、自分自身をちゃんと感覚していること。
待っていること。
例えばこれらが、家にいるということ。
ラサタやカマラは折にふれて、私たちがそのように在ることができるよう、ガイドしてくれます。
そんな風に触れてみると、驚くことに、
今までよく分からなかった相手の繊細な動きも、ふっと見えてきたりします。
そして、観照の質もまた、そんななかにふっと立ち現れてきます。
愛と意識を届けていくということが可能になってくるわけです。
アルーンのコースでは、瞑想や自分の身体を感覚していくエクササイズなどを重ねながら、
こうした繊細なタッチの質を探求していきます。
妙高高原リトリートでは、霊山に抱かれた妙高高原の大自然や源泉掛け流しの温泉、
美味しいベジ料理も、私たちの感覚を開き、新しい扉を開くことを助けてくれます。
そしてこの「自分自身にとどまる」ことは、タッチに限らず、
人生の、生活の、いろいろな場面での鍵だったりもします。
前のめりにならず、自分にいると、
色んなことがよく見える、見え方が変わってくる。
すると、応答の仕方も変わってくるかもしれません。
試して見てください。
ハートを感じて、ハラを感じて、足裏を感じて、自分に感覚を戻していくことで、
自分に戻り、そこから、眺めてみましょう。動いてみましょう。