2020/03/20

Day20 : 自分自身にとどまる ~生命の輝きに触れる21日間~



こんにちは、アディプリヤです。
私は今回の21日間、ジベリッシュ瞑想を続けています。
無意味なめちゃくちゃ言葉をひたすら声に出す時間をとり、そして静かに座るという瞑想。
頭の中のガラクタを放り出せるとても科学的な方法、とOshoは語ります。

そのおかげか、今日はふとした時、お腹のあたりの、ずっしりとした落ち着いた存在に意識が向いたりしています。とてもしずかなスペース。
「自分自身にとどまる」ということがしやすい感じ。
外側の状況に捉えどころがなく、見通しがきかず、判断に迷うことも多いこの頃ですが、この静かなスペースと繋がり、それとともに眺めていれば答えがやってくる感じで、助かっています。

「自分自身にとどまる」~この21日間のメルマガでもおそらく、何度も登場している言葉だろうと思います。
自分に戻る、自分自身でいる、などなど。
分かりきったこと、という方もおられるかもしれませんが、今日はそのことに改めて触れさせてください。

アルーンコンシャスタッチで誰かに触れていく時、自分自身にとどまっていることは前提です。
けれど、これが結構、頭では分かっていても難しかったり、続かなかったり、しませんか?
私たちはいろんなものの中に自分を見失います。いとも簡単に。
自分の動きのなかに、感情や思考のなかに、周りの動きや、パートナーの在りようのなかに。。。

例えば静かなタッチをしている間はそこにいられても、動き始めた途端、自分との繋がりが崩れ、気持ちがすっかりそちらに向いてしまうことも起こるし、目の前のパートナーの身体を感じようとするあまり、前のめりになってしまったり、夢中になりすぎたり。

トレーニングコースの中では、数々のOSHOアクティブ瞑想を続けることで、自分の中心にとどまる質を育てていく機会があります。
そして、それだけではなくて、なんども繰り返されるタッチ瞑想の交換セッションのたび、アヌブッダ、アナーシャ、そして日本であればラサタ、カマラは繰り返し、繰り返し、「自分自身にとどまる」ことをガイドしてくれます。
そしてからだで、理解していきます。

それはとても具体的です。
「呼吸を感じて」
「自分のからだを感じて」
「足の裏が床についている感覚に気づいて」
「下を向かないで、顔をあげて、頭のてっぺんを開いて」 ・・・

目の前のパートナーに関わり、感覚していくこともするわけですが、その前にまず自分自身を感じていること。
感じることで、私たちは戻っていけます。
気づきを自分自身にとどめておくことができます。

「相手を感じようとすることすら、必要ありません」
という言葉が届いてくることも!
ただ、今ここに在る、そして触れている。
実はそれで、必要なことは起こっていったりもするのです。

アルーンコンシャスタッチ は、瞑想の質を日常に広げていくとても楽しいやり方です。
それは日々を穏やかに、豊かにしてくれます。

今日はよかったら、仕事や暮らしのなかで、何かを「する」時、同時に、「自分自身にとどまる」ことを実験してみませんか?

例えば、歯磨きをしている時、同時に足裏を感じてみる。
お皿を洗っている時、呼吸に気づいてみる。
誰かと話している時、声が自分のからだの内側、ハートに響いていることも感じている(これはちょっと高度?)
インターネットで何かの情報に接している時、頭をちょっと離して、足裏や、座っているお尻の感覚にも気づいてみる(今できますね!)。
そして、ゆったりとした呼吸に気づきながら、見る。
どんな時にもできます。

あなた自身の内側に必ずある、静けさと出会える1日でありますように。

Love アディプリヤ