2020/03/16

Day16 : タッチを瞑想にする ~生命の輝きに触れる21日間~



アルーンコンシャスタッチは「タッチの瞑想」。
ボディーワーク~触れること・触れられること~を通じて、瞑想を分かち合っていきます。

なぜ、誰かに触れることが瞑想になるのか?
どうやったら、誰かに触れられることを瞑想にしていけるのか?

それをお伝えするには、本当はアルーンのワークショップやトレーニングで体験してもらうのが一番簡単で、楽しいやり方です!
言葉にしにくいこともありますが、今日は、ラサタやカマラがいつもグループで繰り返す言葉を、ここで紹介してみます。

誰かに触れていくとき。
触れる人は、まずリラックスします。自分自身にくつろぎます。
そのとき、できる範囲で。
自分自身のからだを感じて、呼吸を感じて。
そして、「今、ここ」にいて、ただ、自分のからだと、目の前のパートナーにその瞬間起こっていることを感じながら、観ながら、触れていきます。

「タッチ」というのは本来、「今、ここ」にしか存在しません。
今の、この瞬間のタッチは、今までに一度も起こったことのない、これからも決して起こることのない、一期一会の出逢いなのです。
純粋に、人と人とがそのように触れ合うことには、それ自体にヒーリングの力があります!
そして、そのようなタッチを見守ることは、触れる側にとっても、触れられる側にとっても瞑想です。

けれど、人間にはアタマの働きがあって、そこに沢山の、色んなものが介在してきがちなのですね。
楽になって欲しい、喜んでもらいたい、よいタッチをしたい、といった「期待」。
前に触れたあの人とはこんな風に違う、などの「比較」。
こんなに硬いのは良くない、ほぐさなければ、といった「判断(ジャッジ)」。
正しくやれているだろうか?間違っていないか?といった「考え」。

一切の期待なく、比較なく、判断なく、こうした思考からちょっと離れて。
自分のからだに気づきつつ、同時に、目の前のからだ、命、その輝きを、敬意を持って受け取り、それにスペースを与え、変えようとせず、ただ観照していく。
その時、タッチは瞑想になります。
タッチを受ける場合も同じです。もっとこうして欲しい、前に体験したタッチの方がよかった、ひょっとしたら間違っているんじゃないか、どうしてこんなに硬くなってしまったんだろう?
数々の思考をちょっと脇によけて、今、この瞬間に起こっているタッチを、ただそのまま受け取る、感じていく。
そのタッチを手掛かりに、自分の体を感じていく。
そこにあるエネルギー、感情、傷み、何もかも含めて。

タッチの瞑想が良いのは、とてもリアルであること。
からだ、という実体のある存在に触れ、瞬間、瞬間の出来事をアンカーにして観ていくことで、イメージや空想に流れていきにくいのです。

Oshoは繰り返し、「身体から始めなさい」と語りました。
身体に向き合い、そこに隠れている緊張や感情、思い込みといったものを一つひとつ手放していくことは、瞑想の土台になるし、瞑想そのものにも繋がっていきます。

そしてアヌブッダは「瞑想は良い、悪い、の判断をすることなしに、分析や批判をすることなしに内側を観ることです。
コンシャスタッチで言う瞑想とは、自分の内側を観ると言うことです。
ヒーリングを観る、マインドがどう機能しているかを観る。
それを妨害することなしに」と語ります。

そして「キーワードは、許すということ。観ること。受け入れること。愛すること。聞くこと。
それらは人が学ぶことに対して鍵となることです」とも。

さあ、あなたの身体のどこかに触れてみてください。
膝でも、太ももでも、腕でも、どこか内臓のあたりでも。気になるところがあれば、そこに。

そして身体をできるだけ楽にして、どこか緊張に気づいたらそこを緩めて、手のひらの力をすっかり抜いて。
そして、触れている感覚、手があたっている感覚をただ観ていきます。呼吸とめないで。
何か考えが浮かんだら、戦わないで、あぁあるな~と気づいて、そしてまた呼吸や、手のひらの感覚、手のひらが当たっている感覚に戻っていきます。
ただ瞬間、瞬間のタッチとともにいるということを試してみてください。

それは、どんな体験でしょうか。

Love アディプリヤ