2026/03/15
Day15:触れることの瞑想---気づきの21日間
触れることを瞑想にするって?
ARUNコンシャスタッチの創始者であるAnubuddhaは、
日本の禅の精神が、お茶を飲む、お花を生ける、食事を作り、
お掃除し、庭の手入れをするといった日常生活の些細なことを
瞑想のアートとして育んできた文化とその美しさにとても感動したそうです。
そんなふうにタッチを瞑想にできないものか? と。
タッチを身体を内側から観照するための扉にしていくこと。
触れる人も、触れられる人も、双方にトータルなプレゼンス
(今ここに在ること)と共に、
「相互に関わる瞑想」として気づきを育てていくこと。
そんな思いから、コンシャスタッチの1番最初のコースは
日本から始まったという話を聞いたことがあります。
そしてOshoがAnubuddhaの質問に語ったメッセージ
「存在全体の中で身体は最も偉大なる神秘だ。
この神秘は愛される必要がある――その神秘、その働きを深く探究する必要がある。」
「世界にはまったく新しい種類の教育が必要だ。そこでは基本的に誰もがハートの沈黙――言い換えると、瞑想――へと導かれ、誰もが自分自身の体を思いやる準備がなされなければならない。なぜなら、自分自身の体を思いやらない限り、他のどの人の体も思いやることはできないからだ。」
そこから生まれた全く新しい教育、それがARUNコンシャスタッチです。
ボディワークの世界が、瞑想のためのワークとして行っている人たちでさえ、
実際のところ、効果や結果を求め、そのプレッシャーや期待、競争や嫉妬、
ジャッジや比較などに自分を見失う現実があります。
私自身も体験し、周りにもみてきました。
瞑想として触れるとき、そこから全く自由になっていきます。
ARUNコンシャスタッチは相手を変えようとしません。
なのに確実に変わっていく。変容が起こっていく。
瞑想として触れるとき、全く異なる次元へといざなわれます。
触れる人も、触れられる人も。
私も個人セッションの中で体験するのですが、
人生の理不尽さに憤りがおさまらなかった人も、
仕事の失敗で非難と恐れに押し潰されそうだった人も、
電車事故で大怪我をし大手術の後、身体との繋がりを感じられなくなった人も、
そういう状況の中で、
起こったことは変えられないけれど、
タッチの瞑想の中で、身体と呼吸と繋がり、
自分自身を内側から観ていくことで、
全く別人になっていくのです。
呼吸が変わり、顔の表情が変わり、目の輝きが変わっていきます。
別人というより本来の自分に戻っていく。
マインドからするりと抜け出て、
その人の内側の本質に触れていくのです。
私も瞑想として触れるとき、
疲れて意識が散漫なときでも、
どんどん今ここにクリアに戻って来れます。
感情でぐちゃぐちゃになっているときも、
触れ始めていくと、凛とした静寂に戻って来れるのです。
触れる人=与える人=癒す人=疲れる
触れられる人=もらう人=気持ち良い/良くない
というような概念がなくなっていきます。
今日、あなたも試してみてください。
目の前にあるカップでも、たとえ、ただの物でも、
あなたが意識的に触れたなら、その物の質が何か変わりませんか?
お部屋にあるプラントやお花に瞑想として触れてみてください。
何かの共鳴が起こり繋がりが感じられるでしょう。
家にいる動物や人に愛と気づきで触れたら、どんな感じになりますか?
新鮮に、さらに愛おしく感じられませんか?
そしてお互いが、今ここに意識的に愛とともに触れ、触れられたら、
その静けさ、その生命の輝きはどんなふうに放たれていくでしょう。
触れることの瞑想のマジックを体感してみてください。
Love ラサタ
最後にいつも立ち戻る私にとって原点のOshoの言葉です。
「この手が過去に体験した知識に囚われることなく、触れることが出来たなら、
そのタッチは瞑想になる。無垢で自発的なものはすべて瞑想的だ」
Osho
