2026/03/20

Day20:観照への信頼---気づきの21日間


こんにちは、アディプリヤです。
気づき、観照ということについて、ラサタ、カマラが繰り返し書いてくれていますね。
ARUNの根幹をなす、とても大切なこと。
そして、知っているようで、分かっていないところがあるかも。

先日のARUNオンラインで、大腰筋のセルフタッチをしたんですね。
大腿の付け根の内側から骨盤を通り、腰椎につながる深部の筋。
脚を持ち上げる深層筋なのだけど、私たちは外側の筋肉ばかりを使いがちで、大腰筋は眠っていたりすることがある。
お腹側から内臓をかきわけ、久しぶりに大腰筋に触れてみたとき、
左右にかなり違いがあることに気づきました。
左側はしっかりと大腰筋が感じられるのに、右側がなんだか鈍いのです。

そのシェアをラサタにして、
鈍い方を触っていくといいかな~と話したら、
ラサタはサラリと、
「触るっていうか、気づきを向けていくことね」と、、。

そのやりとりに、ちょっとハッとしたのです。
気づきが大切!と繰り返しつつ、
実は、そのことが自分に行き渡っていないところがあるな~という感覚。

なので今日は、「気づき」にまつわるAnubuddhaの言葉を振り返ってみたいと思います。
これは1997年3月にプーナで行われたAnubuddhaへのインタビューだそうです。

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タッチは愛を分かち合う直接的な方法です。

もし、私があなたの胃のあたりをさわると、あなたは、
「なぜこんなに緊張しているんだろう。リラックスさせよう。」と言います。
コンシャスタッチは、その瞬間にあるエネルギーに気づくこと、
自分自身のエネルギーにもっと興味を持つことをもたらします。

誰かのエネルギーと比べるのではありません。
比較するとき、それは瞑想ではなくなります。
瞑想するということは誰かと比較しないということです。

深く自分自身を受け入れるということに入っていくとき、
たくさんの問題が癒やされます。

受け入れること、自分自身を愛すること、
これがコンシャスタッチでしていることです。

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まちがったものがあると思った瞬間に、今ここにいることができなくなるのです。
ここが悪いからと、その人のその部分を良くしようとすることは、
エゴから働きかけるということです。
そうすることによってヒーリングの質が薄れてしまいます。

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多くの人は観照ということを学んではいないと思うのです、
サニヤシンでさえです。
どういうふうに分析をせずに体を観ることができるのかということです。
そしてこれが、リバランシング、クラニオセイクラルを私がやめた理由です。
なぜなら私にとって、これらは瞑想ではなかったからです。

相手と一緒にいてリラックスするということ、
それはタッチであって、テクニックというものは瞑想にはつながらないのです。
多分、そういう理論や教え方というものは瞑想ではありません。
分析的であったり、批判をともなっていたり、何かを変えようとするものだからです。

私が人々に分かち合おうとしているものは、Oshoが言っている瞑想についての全てを、
タッチング(ふれるということ)にもたらすことができるということです。
しかし、そういう視点から人々につながるということは、
非常に勇気がいることです。
そこには、たくさんの観照への信頼が必要です。
内なる本当の美しさへの信頼が必要です。

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観るということをもっと学べば、
お互いに、あるいはその人の中にもっと美しい経験をもたらすことができます。
愛と気づきを、コンシャスタッチのなかで私は分かち合っているのです。

Anubuddha

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「観照」ということを、体験し、学び続け、根付かせていきたいですね。
Love
アディプリヤ